がんと向き合い生きていく

認知症の母親に胃がんが発覚…それでも母は私の生きる希望

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 認知症の母親(83歳)と13年間、ずっと一緒に暮らしている娘さん(55歳・会社員)から聞いたお話です。

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 母は病院の物忘れ外来に2カ月に1回のペースで定期的に通っていて、私は仕事を休んで一緒に病院へ行きます。普段の平日は、朝に車で母を迎えに来ていただいてデイケアに行きます。私が会社から帰って来るまでの夕方の1時間はテレビを見たりして過ごしていますが、ほとんど内容は分かっていないようです。 夕食は私と一緒です。私の作った料理を「おいしい」と言って食べてくれます。若い頃は大嫌いだったソバも、最近はおいしそうに食べています。

 母が私に向かってニコッとほほ笑んでくれるのが私の生きがいです。会社で何があっても、勇気をもらえるのです。母がいてくれて幸せです。

 母は75歳の時に一人で散歩から帰れなくなり、交番にお世話になったのが認知症の始まりだったと思います。名前を書けなくなったのは78歳でした。

 79歳の夏、数日にわたって嘔吐があり、物忘れ外来の医師が消化器科を紹介してくれて胃がんが見つかりました。ステージは2でした。私がすべて説明を聞き、「同意」して手術していただきました。胃の3分の1が残り、みなさんのおかげで手術後のトラブルもなく、幸いこれまでがんの再発はありません。

 先日、同じデイケアに通っている方のご家族のFさんから、とてもショックな話を聞きました。Fさんががん治療の講演会に出向いた際、「認知症とがん治療」について演者を務めたある医師が、「認知症は進むと分かっている中で、がんの治療をして余命を延ばすことにどれだけ意味があるかについて考えて欲しい」と話されたというのです。

 Fさんは「あの講演会では、認知症の患者はがん治療しても意味がない、長く生きていても意味がないと言っていると思うのです」と口にされていました。

 Fさんの話を聞いた私は、すぐに母のことを思いました。認知症があってもなくても、がんの治療ができる状態なら医師は治療をするのが当然だと思います。認知症でも、がんが治る状態で、治療可能で延命できるなら、医師として治療に当たる。手術できる状態なら、手術するのが当たり前でしょう。

「命を延ばすことの意味があるかを考えろ」とはどういうことなのか? 医療費がかさむから、介護が大変だからという理由なのでしょうか? 私は母に早くいなくなって欲しいなんて一度も思ったことはありません。

■認知症の患者はがん治療しても意味がないのか

 65歳以上の方の7人に1人が認知症で、2025年には5人に1人になると推計されていると聞いています。オーストリアの精神科医、V・E・フランクルは「社会に役立つことが人間の存在を測ることのできる唯一の物差しではない」「人間の生命を生きる価値のない生命とみなして、その生きる権利を剥奪する権利はだれにもない」と言っています。

 そして、こう書いています。

「医者が任命されたのは、できる限り命を救い、できる限り助け、そしてもう治せないときには看護するためではなかったでしょうか。医者である限り、彼は不治といわれている、あるいは実際、不治である患者に生きる価値があるとかないとかについて、判断を下す権利はないのです。また、その権利があると思い上がっては決してならないのです」

 私から見て、母は心も体も苦痛があるようには見えません。きっと自分では何も分かっていないのです。それでも、母は私の生きる「希望」なのです。母には、このままでもいいから、認知症でいいから、ずっと生きていて欲しいのです。たとえ、母が私を誰だか分からなくなったとしても、ずっとずっと生きていて欲しいのです。

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 意味のない延命なんてないのです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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