がんと向き合い生きていく

絶望の中でも援助したい 終末期患者を看護するスタッフの思い

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

「命はいつ果てるか分からない。そこに命の神秘さがある」

 どなたかが言った言葉があります。

 だいぶ前のお話です。がん病棟には40人ほどの入院患者がいて、終末期となって重症で亡くなりそうな方が常時、数人いらっしゃいました。

 Gさんは収縮期血圧が70㎜Hg台の状況が数日続き、いつ呼吸が止まってもおかしくない状態でした。その日の夕方は、準夜勤務で出勤してきたB看護師がGさんの担当になりました。日勤の看護師からの申し送りは「Gさんは、血圧70くらいだったのが午後から60台に下がりました。呼びかけには答えます」というものでした。それを受けたB看護師は、私の顔を見て言いました。

「先生、今日は帰らないわよね。医局にいてね。すぐ呼ぶから」

 夜8時ごろになってGさんの容体は悪化し、血圧は50以下まで低下しました。私は病室に駆け付け、ご臨終を告げたのが9時10分でした。泣き崩れる奥さんを、B看護師は自分も一緒に泣きながら支えていました。10時30分に家族が全員集まり、私は病気のことと経過を説明しました。

 B看護師ともう1人の看護師が死後の処置を行い、ご遺体を病室から霊安室に送り出したのが深夜0時。他の患者の見回り、重症者の看護、カルテの記載をして、B看護師が勤務を終えて病棟を後にしたのは夜中の1時を過ぎていました。

 翌日、B看護師は朝9時から勤務です。日勤ではたくさんの看護師が勤務しますが、それでもB看護師は、悪性リンパ腫の終末期で早朝から血圧が下がっていたFさん(27歳・男性)の担当でした。

 Fさんは午後2時に亡くなりました。数日泊まり込んでいたFさんの母親に私が「ご臨終です」と告げた時、B看護師は母親と一緒に泣いていました。廊下に出てきたB看護師の涙を先輩看護師が拭いてあげていました。

■とげぬき地蔵にお参り

 実は、その前週もB看護師が勤務のときに、担当した終末期の患者が息を引き取っていました。数日後、先輩看護師がB看護師に言いました。

「あなた、お地蔵さんのところに行ってきた?」

 B看護師は「うん、行ってきた。ちゃんとお参りしてきた。すっきりした」と答えていました。

 たしかに、その後しばらくはB看護師が担当した患者が亡くなることはありませんでした。

 とげぬき地蔵はその病院の近くにあります。科学が発達した今の時代でも、神か仏か、何か心霊的なものに頼りたくなることがあるのでしょう。

 終末期患者の死亡日時を推測するのは非常に難しいといえます。科学的にそれを明らかにしようとする論文があり、これを引用した論文や発表が見られます。ある報告では、患者の状態を点数化し、その合計点で「あと何日生きられるか」を推定しようとしています。

 たとえば、浮腫あり1・0点、寝たきり2・5点、経口摂取が減少した1・0点、呼吸困難3・5点、せん妄4点……こうしたさまざまな項目を点数化して、その合計がたとえば「6点以上では3週間以内に死亡する可能性が高い」などと予想するのです。

 このような点数化は、気分的にも私は好きにはなれません。この点数によって看護内容を変えるなどもってのほかです。

 とげぬき地蔵は商店街の奥にあります。入り口からしばらく行くと観音様が立っていて、通る方はひしゃくで頭から水をかけてお参りしていきます。あの時、B看護師はお地蔵さんのところに行って「すっきりした」と言っていましたが、すっきりしたのではなく「大丈夫」と自分に言い聞かせていたように思いました。

 終末期看護を希望して勤務される看護師がいます。だからといって死に目に会うのが好きなはずがありません。絶望の中でも援助したい、生きて欲しい――。B看護師もそう思っているのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事