死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

「生かす医療」を切り替えるターニングポイントがある

医師の小堀鷗一郎氏
医師の小堀鷗一郎氏(C)日刊ゲンダイ

 新型コロナウイルスの感染爆発を最前線で食い止めているのが医師や看護師だ。彼らは命を救うために全力で取り組んでいる。だが、医療の役割は救命だけではない。訪問診療医として400人以上をみとってきた小堀医師は「死なせる医療も必要」と言う。それは我々に「どんな死を迎えたいか」を考えさせるものだ。

 訪問診療の現場は壮絶だ。ノミやシラミをうつされないように気を使い、堆積された排泄物の周りを飛び回るハエにも悩まされる。山積みのゴミの中でネズミと一緒に暮らしていた人もいた。

 外科医として病院に約40年間勤務し、現在の病院でも70歳近くまでメスを握ってきた小堀さんは、初めて訪れた在宅医療の現場で衝撃を受けたという。

「皆さんには想像できない世界でしょうね。『ネズミが通ったところなら乾いているから大丈夫』という判断をしながら診察するのです。社会格差は皆さんが考えている以上に存在しています」

 小堀さんは長年、外科医として救命医療に力を注いできた。だが、訪問診療に携わるようになってから、「死なせる医療」の必要性に気づかされたという。

「医学教育を受けた医者はみな『救命・根治・延命』を第一に考えます。私が外科医をしていた時も、この3つを必要とする患者さんはたくさんいました。しかし医療に求められているのは、それだけではない。穏やかな最期を迎えるための『死なせる医療』もある。在宅医療に関わるようになって初めて、私はそれを知りました。こんな話をすると、患者も医者もみな『死は敗北』と嫌がりますが、人生の最後の医療は生かすためのものとは限らないのです」

 人間誰しも、いずれは死を迎える。できれば幸せな最期を迎えたいものだが、それは「生かすための医療」が前提でないかもしれない。

 97歳で独居の男性患者がいた。ひどい認知症で会話もままならない。それでも小堀さんは、ある種の友情が芽生えていると感じられた。ひっくり返した植木鉢を椅子代わりにして玄関先で小堀さんの来訪を待ち、会えば釣りの話をした。そんな付き合いが3年6カ月続いたという。

「毎日の生活は充足しているように見えましたが、ある冬の朝に一変しました。看護師が訪問すると布団を掛けずに寝ていて体が冷たい。すぐに遠方に住む息子に連絡、救急搬送後に入院加療となったのです」

 入院生活は穏やかなものではなかった。拘束された状態で、点滴の針は抜くし、暴れて物を投げる。息子は施設入居を希望したが、向精神薬を使用している患者は受け入れられなかった。

「そこで私が、自宅へ帰して訪問診療という選択肢もあると提案したら、担当の医師は『同じことが起きる。医者の良心に反する』と応じなかった。これは救命・根治・延命を考えた立派な答えです。しかし、ここがターニングポイントでした。それから6カ月間、彼は鎮静薬でこんこんと眠り続けて亡くなった。その半年間が彼にとって何であったか。もちろん家に帰っていたらすぐに死んだかもしれないし、もしかしたらまた私の来訪を楽しみにする生活を送っていたかもしれない。僕が言えるのは、生かす医療と死なせる医療にはターニングポイントがあり、それを意識して患者に関わらなければならないのだろうということです」

 どう生きてどう死ぬか。それは患者の側にも求められている覚悟だ。

小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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