独白 愉快な“病人”たち

大泉逸郎さん9年前に脳梗塞「仲良く付き合っていくしか」

大泉逸郎さん
大泉逸郎さん(提供写真)
大泉逸郎さん(演歌歌手・78歳)=脳梗塞

 脳梗塞を発症したのは東日本大震災のあった2011年の1月18日だね。山形に住んでるんだけど、自宅の近くの友達の家に行ったら、急にグルングルン目まいがしてさ。頭痛もちょっとあったけど、目まいのほうがひどくて、もう歩きにくくて、まるで自分が振り回されてるような感じになったのさ。

 それで、友達の車ですぐに病院へ連れて行ってもらって、CTを撮ってもらったりしたら、脳梗塞だってわかって。小脳のところが真っ黒に写ってたから……小脳の脳梗塞だったんだね。それですぐに入院することになった。

「平衡バランスがとりにくくなるかもしれない」と先生に言われた通り、今も真っすぐに歩けなかったり、バランスを崩したりすることはあるよ。ステージで歌うときに暗い階段があると怖いし……。でも、これはもう友達みたいなものだと思って、仲良く付き合っていくしかないよね。

 脳梗塞っていうと、普通はお酒とかたばこが原因っていわれるけど、たばこはまったくやらないし、お酒もあんまり飲まないんだよね。3日にいっぺん、250ミリリットルの缶ビール1本を女房と分けて飲む程度だから。

 糖尿病はあったんだよね。母親が糖尿病でさ、自分も食べるのが好きだからつい食べ過ぎて、一時期、薬を飲んだりしてたの。でも、今はもう飲んでない。ちょっと血糖値は高めだけど、医者は「これぐらい大丈夫でしょう」ってことで。

 脳梗塞になった原因は、不整脈みたいだねえ。不整脈が起きて、心臓で血栓ができて、それが脳に飛んで詰まったのかな。それで、入院してる最中……2月ごろだったかな? 左胸にペースメーカーを入れる手術をしたんだよ。

 手術はそんなに大変じゃなかったよ。心臓だから怖い? 怖いったって、なったらどうしようもないからね(笑い)。手術するしかない。それに、ペースメーカーはいったん入れちゃえば、普段は痛みとかなんともないし、心臓の動きが悪くなったら自動的に動いて拍動を調節してくれるんだから。ペースメーカーのおかげで、こうして問題なく生きていられるんだと思えばありがたいよ。

■歌うこととサクランボ作りが元気の源

 手術の後の回復過程も、それほど大変じゃなかったよ。

 ただ、左胸のところがポコッと出てるから、温泉とか行って裸になって、見る人が見たら「ああ、あの人ペースメーカー入れてるな」ってわかるよね。

 このペースメーカーは10年ぐらいしかもたないらしくて、この2月に交換する手術をしたんだよ。

 だから、あと10年したら、またやることになるみたいだね。

 脳梗塞で入院して、退院したのは3月3日。それで、3月31日にはもう歌の仕事に復帰してコンサートをやった。今もだいたい1年に1枚のペースで新曲を出して、キャンペーンで全国あちこちに呼ばれたら歌ってるんだ。

 歌だけじゃなくて、普段は山形でサクランボを作ってるからさ。毎日、朝から女房と2人で畑行って、サクランボの手入れして、疲れたら畑の中にセットしてあるいろり端で休んでお茶の一杯も飲んで、歌も歌ったりして(笑い)。

 そうやって休み休み、楽しみながらやってるのが、体にもいいんじゃないかね。歌を歌うことと、サクランボを作ってること。この2つが元気でいられる源かなあと自分では思ってるよ。どっちも好きでやってることだから、楽しいよね。

 バランスを崩す後遺症以外は、マヒとか言語障害とか何もない。脳梗塞の影響といったら、月にいっぺん病院を受診して血液検査したり、ペースメーカーの検査をしたりして、血液をサラサラにするワーファリンって薬をもらって飲んでるぐらいだね。年を取っているからどこかしらあんばいが悪くて、たとえば年相応に足腰が弱くなったりして、畑で作業しながら「こんなはずじゃなかった」なんて思うこともあるけど、それはもうしょうがない。みんな年を取れば同じだからね。

 脳梗塞で入院してたときは体重が少し落ちたけど、今はベスト体重の55キロに戻ってる。身長が163センチだから、女房には「60キロになったらダメだ」って言われてるよ。普段の食事は女房におまかせで、こっちは女房のコントロール下に置かれてるから従うしかない(笑い)。うん、何でもおいしくいただいてるよ。

 今年は6月10日に「ありがてぇなあ」って新曲を出して、本来なら、出したらすぐにキャンペーンで新幹線に乗って東京だ、大阪だって行って歌ってるんだけど、今のご時世、そうもいかない。早く新型コロナウイルスがいなくなってほしいねえ。全然、キャンペーンができないもの。

 今は全国あちこち行ったら、かえって迷惑だろうからさ。山形でおとなしくしてるしかない。それは残念だけど、その分、しっかりサクランボに手をかけてやることができるから、歌はどこかで聴いてもらえたらいいなと思ってるよ。

(聞き手=中野裕子)

▽おおいずみ・いつろう 1942年、山形県生まれ。民謡好きの父親の歌を聴いて自然に覚えた我流で歌い、77年に東北・北海道民謡大賞を受賞。本腰を入れて民謡を習い、80年には日本民謡協会総理大臣賞を受賞した。94年、初孫誕生を喜びシングル「孫」を自主制作。99年、同作でメジャーデビューするとダブルミリオンを記録し、2000年の「NHK紅白歌合戦」にも出場した。以後も農業と兼業で歌手活動を続け、今年6月に新曲「ありがてぇなあ」(テイチクエンタテインメント)をリリース。

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