上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

新型コロナはかつてのインフルエンザと同じ歴史をたどっている

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 新型コロナウイルスの感染者が再び増加している状況が続いています。多くのウイルスが苦手にしている高温多湿な環境でも感染が拡大しているとなると、やはりワクチンと急性期治療に使う抗ウイルス薬、重症化防止に効果が期待される抗体治療薬が開発されるまではゴールの見えない生活様式を強いられるでしょう。

 今回の新型コロナウイルスの流行を見ていると、季節性インフルエンザがたどってきた歴史を繰り返しているのではないかと感じます。

 インフルエンザの流行は国民全体の死亡率をアップさせます。その対策として、日本では昭和37(1962)年からインフルエンザワクチンの学童集団接種が実施されました。これによって、ほとんどの学童が予防接種を受けることになりました。

 ところが、学童集団接種は無意味ではないかとの意見が大きくなり、94年には廃止されてしまいます。その結果、どうなったかというと、学童集団接種が実施されていた70年代、80年代はインフルエンザによる超過死亡率が大幅に低下していたのに、中止された94年以降は急増していることが明らかになったのです。日本と米国の共同研究では、学童集団接種によって、1年間に3万7000~4万9000人の死亡を防止していたことがわかりました。インフルエンザで亡くなる人の多くは高齢者ですから、学童集団接種によって集団免疫が成立し、高齢者の死亡が抑えられていたのです。

 01年以降は、日本でタミフルなどの抗インフルエンザ薬が続々と使われるようになり、新たな急性期の治療法が確立されました。近年は死亡者数が増加傾向にありますが、ハイリスクな高齢者が増えていることが一因だと考えられます。

 学童集団接種が始まる前は、インフルエンザは野放しでした。しかし、たとえばスペイン風邪が流行した時のように深刻な社会問題になっていなかったのは、人口動態の年齢が若く超高齢者が少なかったからでしょう。インフルエンザで亡くなる年代の人口が少なかったということです。

 また、記録や報道がまだ十分ではない時代だったということもあり、たとえば低所得層の人が亡くなった場合、インフルエンザという診断名がつかないまま病死だとカウントされていなかった可能性もあります。

■ワクチンと治療薬の登場に期待するしかない

 まだ、ワクチンも治療薬もない新型コロナウイルスの状況は、インフルエンザが野放しだった時代と同じです。違っているのは、人口動態が超高齢化していること、生活習慣の変化によって重症化しやすい体質になっている人が増えていること、情報が入手しやすくなっているところでしょうか。

 そうした「患者側の違い」が重症者や死亡者数を増やすことにつながり、情報伝達の進化が国民の不安を増幅させているといえます。もっとも、ワクチンの学童集団接種が始まっていなかった50年代は、インフルエンザによる年間の死亡者数が7000人以上だった年もありました。当時に比べ、いまは医療体制が飛躍的に進歩していることもあって新型コロナによる死亡者数ははるかに少ないのですが、世間は“パニック状態”といえる状況です。これを収束するためには、インフルエンザの例を見ても、ワクチンによって集団免疫を成立させ、抗ウイルス薬などで急性期の治療を確立するしかありません。

 インフルエンザの場合、ワクチンの学童集団接種がスタートしてから急性期治療薬が使われるようになるまで、およそ40年の期間がありましたが、いまはワクチンも治療薬も1~2年で開発されるとみられています。

 歴史から見ても新型コロナもいずれは季節性インフルエンザと同じ状況になる――。そう考えれば、いたずらに騒ぎ立てて怯える必要はなくなるのではないでしょうか。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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