かつて、医療の最大の目的は「人命を救う」ことでした。もちろんそれは今でも変わりありませんが、近年はそれだけではなく「医療安全」が重要視されています。
医療安全というと、医療事故が起こった場合の病院側の対応策というイメージで捉えられがちですが、そうではありません。医療安全の取り組みは、医療事故を未然に防いで「患者さんを守る」ためのものです。
「患者は守られるべきである」という考えのもと、世界で初めて組織的に動き始めたのは英国だといわれています。1990年、ブリストル王立病院の麻酔科医が、同病院の2人の小児心臓外科医の手術後の死亡が多いことを内部告発しました。この告発は病院長に黙殺されましたが、マスコミ報道などによって社会問題となり、95年までの間に心臓手術を受けた53人の小児のうち29人が死亡という異常な死亡率だったことが判明したのです。この事件をきっかけに、英国の国営医療サービス「NHS」によって病院の管理が強化され、より良い医師を育てるための指導や患者の保護が徹底されるようになりました。
また、米国でも85年から90年ごろに医療訴訟の問題がクローズアップされはじめ、94年にはダナ・ファーバーがん研究所で、予定量の4倍もの抗がん剤を投与されていた医療ジャーナリストが死亡、元小学校教師が心不全を発症する事故が起こりました。これを契機として、医療機関の審査格付けを行う医療施設評価合同委員会(JCAHO)や米国医師会(AMA)は、医療過誤防止のためには組織的・体系的な取り組みが必要だとして対策が強化され、米国連邦政府による医療事故防止施策の実施につながっていきます。
■医療事故が相次いだ日本でも整備が進んだ
日本では、99年に相次いで起こった医療事故が、医療安全の重要性を広く認識させたといわれています。同年1月、横浜市立大学医学部付属病院で2人の患者を取り違えて手術を行うという事故が起こりました。続く2月には都立広尾病院で抗凝固薬と取り違えて消毒液を点滴し、患者が死亡する事故が発生しました。 こうした事故をきっかけに、厚労省は2001年から「患者の安全を守るための医療関係者の共同行動(PSA)」という総合的な医療安全対策を推進し、医療機関の安全管理体制が整備されていくのです。
それまでの日本では、「医療事故はあってはならない」という考えから、医療事故が起こることを前提にした制度は整備されていませんでした。医療の現場では「パターナリズム」(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意思は問わずに介入や干渉を行うこと)が中心で、患者は「お医者さま」に従うのが一般的でした。
それが、患者さんの高齢化による病態の複雑化や医療の高度化、耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)感染症をはじめとする院内感染の発生などによって、医療チームの中から「施設の管理体制がおかしいのではないか」といった疑問の声が上がるケースが増えてきて、医療安全に対する考え方が徐々に固まってきました。さらに、国を挙げた組織的な医療事故防止策が加わり、推進されていくのです。こうした経緯によって、医療現場はかつての「お医者さま」から「患者さま」に変わったとよくいわれます。
さらに、インターネットの普及によって、医療安全が重視される傾向が加速します。患者さんがキーボードに打ち込むだけで自ら情報を入手できるようになり、該当する疾患のガイドラインや標準治療といった医療知識を得ることができるようになりました。これにより、医師と患者は「医療の契約」を結ぶ形で治療が行われるようになりました。医師は契約違反をしないように努める――これが医療安全の原則になっているのです。
次回も医療安全の現状について、お話を続けます。
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