独白 愉快な“病人”たち

「必ず治る病気になる」ALSと闘う恩田聖敬さんの思い

恩田聖敬さん
恩田聖敬さん(提供写真)
恩田聖敬さん(株式会社まんまる笑店 代表取締役社長)

 生まれ故郷である岐阜のプロサッカーチーム「FC岐阜」の代表取締役に就任したのが、2014年、35歳の時でした。

 それまで、東京のアミューズメント事業会社で取締役を務めていたのですが、その会社のオーナーがFC岐阜の支援を始めたことで、私が代表に抜擢されたのです。私は天職を得た気持ちでした。

 就任前の2013年暮れに、じゃんけんでチョキを出そうとしたら、うまく出せない。箸を持つ手に力が入らない……といったちょっとした体の違和感を覚える日が増えました。脳外科で診察を受けたのですが、MRI検査をしても異常なし。チームドクターの整形外科医に相談したところ、精密検査を勧められ、2014年5月に大学病院で検査を受けました。すると、「ALS」(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのです。体を動かすための神経系が徐々に障害され、手足や喉、呼吸に必要な筋肉が衰えていく難病です。

 当時の症状は右手の違和感だけで、ALSと言われてもまったく実感が湧かず、それよりも「新生FC岐阜」のことで頭がいっぱい。誤診かもしれないし、病気のことは横に置いておこうという気持ちでした。

 病気を実感したのは、それから3カ月後。セカンドオピニオンで訪ねた別の病院での検査結果もALSだった時です。すでに左手まで症状は進行し、右手でカバンを持つこともできませんでした。自分でも「やはりALSなのではないか」という不安をかき消すのに必死だった頃にあらためて検査結果を告げられ、絶望感を味わいました。生きる意味を失いかけて、妻の前で号泣しました。人前で泣いたのはあの日が生まれて初めてです。

 その後、病気の進行とともに職務を全うすることは難しいと判断し、2015年11月のシーズン最終戦後のあいさつで社長職退任を表明しました。その後、12月の臨時総会で代表取締役を降り、2016年4月に取締役任期満了でFC岐阜を去りました。

 その頃は、ALSの進行を遅らせる「リルテック」という薬を服用、同様の作用の「ラジカット」の点滴治療もスタートしました。また、胃ろう増設の手術を受け、車椅子を利用し、言語コミュニケーションはほぼ失われた状態でした。

 当時は、妻が私の介護を一手に担い、付きっ切りで世話をしてくれました。しかし、小学生になったばかりの娘や幼稚園年少クラスの息子の育児や家事と、私の介護を両立できるはずもなく、彼女の心も体も壊れていきました。想像以上に早い病気の進行を目の当たりにして、あの頃はまさに生き地獄でした。しかしそれでもなお、私たちは介護者の手を借りることに抵抗があったのです。

 自問自答を繰り返し、妻とも胸の内を打ち明け合い、妻から「私たちはパパの犠牲にはなりません。私たちはパパを犠牲にはしません」と言われました。それで、24時間完全他人介護を選択し、現在に至ります。

 一昨年の7月には、熱中症の疑いで入院し、3日後の深夜には呼吸困難で生死をさまよいました。一命は取り留めましたが、病状はさらに進み、同じ年の8月には気管切開と喉頭分離手術を行いました。今は常に人工呼吸器を装置しています。

■どうしても仕事を諦めきれなかった

「天職」と感じたFC岐阜の社長職はALSに奪われましたが、どうしても仕事をすることを諦めきれませんでした。自分に何ができるかを熟考し、全国で講演や執筆活動を行う「株式会社まんまる笑店」をクラウドファンディングで募った資金で2016年に設立し、今年創業初の黒字化を成し遂げました。

 私は現在、介護者が2人いれば、いつでもどこにでも好きなところに行けます。

 話したいことは、介護者との口文字を介して伝えられます。もちろん、それ相応の時間はかかりますが(笑い)。

 また、言葉は出ないものの動かしやすい口で特殊なセンサーを操作し、タブレットでメールやSNSや原稿を書いています。動けなくて、しゃべれませんが、コミュニケーションに時間がかかる以外は、本質的にはALS罹患前と変わらず、やりたいことを実現できる環境にいます。優れた介護チームとテクノロジーのたまものですね。

 私はALSと生涯付き合う気持ちは毛頭ありません。ALSは私が生きている間に必ず治る病気になると確信しています。その日までしぶとく生きる! それが、いまの私の目標です。

(聞き手=池野佐知子)

▽おんだ・さとし 1978年、岐阜県生まれ。2004年に京都大学工学研究科航空宇宙工学専攻を修了後、ネクストジャパン、ブレイク、アドアーズといったアミューズメント事業会社の取締役を歴任。Jトラスト退社後の2014年には、岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任した。2015年11月、ALSの進行により退任。2016年に株式会社まんまる笑店を設立し、代表取締役社長に就任した。2児の父。

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