ビートルズの食生活から学ぶ健康

食事にも影響が なぜ、彼らはインドに魅かれていったのか

ジョージ・ハリスンだけは早くから菜食主義者だった
ジョージ・ハリスンだけは早くから菜食主義者だった(C)ロイター=共同

 1963年春、母国イギリスでブレークしたビートルズは10月以降、本格的なツアーとレコーディングに追われる日々を送ります。

 64年2月に始まった全米ツアーの時には、ホテルと演奏会場に缶詰めにされ、次の都市でもホテルと演奏会場の往復を繰り返すといった状態で、ほとんど室内に閉じ込められる生活が続きました。

 当時の彼らの食生活は、ステーキ、ソーセージ、卵などの動物性食品と乳製品中心の高カロリー食・高脂肪食が続いていましたが、ビートルズのメンバーがダイエットをしたとか、積極的に運動をしたなどという記録はほとんど残っていません。

 65年2月当時、映画「ヘルプ!」の撮影開始の頃、ジョンは「体がふっくらとしてきた」と話していますが、当時はまだ20代の半ばでしたから、顕著な肥満には結びつかなかったようです。

「ヘルプ!」の撮影中、インド料理店のシーンがあり、その店に置かれていたシタールがジョージの興味を引きました。ジョージはジョンの作った名曲「ノルウェーの森」でシタールを弾いていますが、ジョージのインドへの傾向は、シタールへの興味から始まったものでした。ジョージがインドへの興味を持ち始めると、ジョンが続き、ポールとリンゴも追随します。

 66年のフィリピン公演直後、ジョージに誘われてメンバー全員が数日間、インドを訪問。帰国後もジョージのインド熱は一層高まり、ある時には元妻・パティを連れて2人だけで訪れています。ジョージを含めビートルズのメンバーは、富も名声も手に入れましたが、そうした物質世界の豊かさより精神世界の豊かさへ、つまり「人生の意味」を探究するためのインド志向だったのだ、と考えられます。この時期を境にしてジョージの食生活は「菜食中心」へと変わっていきました。パティは著書「パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ」(シンコーミュージック・エンタテイメント)の中で、2人がベジタリアンになった動機を記しています。

 それは、彼女に食肉用子牛の飼育に関する本を贈ってくれた人がいて、牛の赤ちゃんがいかに残酷な扱いを受けているかという事実を知ったことがきっかけだったそうです。それ以降、パティはかつて2人が住んでいたイーシャー(ロンドン郊外)の自然食料品店で、穀類・豆類・野菜・果物を買い求め、ジョージが家にいる時には、午後の紅茶を飲み、夜は8時すぎに夕食を取っています。ジョージとパティの一日は、朝は紅茶1杯、食べても目玉焼き、昼は食事抜きといった具合でした。ジョージはあまりお腹がすかないタイプだったようで、1日1食だったのかもしれません。

 日本では「ベジタリアン」というと、自分とは無縁と考える方が多数派でしょう。しかし、99年に発表されたオックスフォード大学の「ベジタリアンに関する研究」では、非常に興味深い結果が報告されています。菜食主義者6000人と非菜食主義者5000人を対象に12年間にわたって調査したところ、菜食主義者の方が、肉類を摂取するグループより心筋梗塞、狭心症などの虚血性心疾患や悪性新生物による大腸がんなどの発症率が低いことが明らかになったのです。

 ジョージは菜食主義に傾倒していくことになります。

松生恒夫

松生恒夫

昭和30(1955)年、東京都出身。松生クリニック院長、医学博士。東京慈恵会医科大学卒。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医。地中海式食生活、漢方療法、音楽療法などを診療に取り入れ、治療効果を上げている。近刊「ビートルズの食卓」(グスコー出版)のほか「『腸寿』で老いを防ぐ」(平凡社)、「寿命をのばしたかったら『便秘』を改善しなさい!」(海竜社)など著書多数。

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