進化する糖尿病治療法

低血糖対策に 鼻にシュッとすればOKの点鼻剤グルカゴン登場

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写真はイメージ(C)PIXTA

 糖尿病歴13年のAさん(65)は、低血糖を何度か起こしています。これまでは本人に「低血糖を起こしている」との自覚があり、アメをなめるなどブドウ糖を摂取することで対応できていましたが、前回起こした低血糖は、気が付いたら病院のベッドに寝かされていました。奥さんが意識もうろうとしているAさんに気付き、救急車を呼んだのです。

 低血糖は、糖尿病患者ならだれでも起こす可能性がある症状です。最初は異常な空腹感、体のだるさ、冷や汗、動悸、ふるえ、熱感、不安感、悪心などが表れ、血糖値が下がるにつれ、眠気、強い脱力、めまい、強い疲労感、集中力の低下が生じ、やがて言葉が出ない、ものが見えにくい、時間や場所が分からないといった状態になります。

 さらに血糖が下がると意識がもうろうとしたり、けいれんを生じたり、異常行動を取ったりするようになり、場合によっては深い昏睡に陥ります。低血糖の対策は、直ちにブドウ糖を摂取することですが、意識がもうろうとする重症低血糖に至ると、自分でブドウ糖を摂取することができません。命に関わる恐れがあるため、糖尿病患者自身はもちろん、同居の家族がいる場合は、その家族も低血糖に対して正しい知識を持つ必要があります。

 10月に、注射剤以外の低血糖治療剤としては初の選択肢である点鼻剤の「グルカゴン」が発売されました。室温(1~30度)で持ち運びができる1回使い切りの製剤で、薬剤は噴霧器に充填されています。花粉症の点鼻剤と同じように、点鼻容器の先を鼻に入れて注入ボタンを押すだけ。速やかに、そして非常に簡単に薬剤を投与できます。

■重症で意識がない患者に対し家族が簡単に使える

 低血糖治療剤のグルカゴンでは、これまで承認されていたのは注射液でした。重症低血糖で昏睡状態に陥った場合、家族がそれを用いるわけですが、注射液なのでハードルが高い。

 グルカゴンの粉が入った瓶に注射液で溶解液を入れ、瓶の中の粉を溶かし、それを注射器で吸い上げ、低血糖を起こした患者さんに筋肉注射するのです。使用法の説明を受けていても、昏睡状態になった患者さんを前に気が動転している状態で、一連の作業をするのは難しいですよね。それが点鼻剤でできるのですから、低血糖を何度か起こしている人、その家族にとってこれほど心強いものはありません。

 点鼻剤のグルカゴンを発売した製薬会社「日本イーライリリー」によれば、糖尿病患者の介護者(糖尿病患者の同居家族)20例を対象にした国内単一施設非盲検部分的クロスオーバー模擬投与試験で、点鼻剤のグルカゴンと注射剤のグルカゴンについて、それぞれ使用法の説明を受け、同居家族がマネキンへ模擬投与を行ったところ、点鼻剤のグルカゴンを模擬投与した89・5%が全量投与に成功。模擬投与完了までの平均時間は24秒でした。

 低血糖は「糖尿病患者なら、だれでも起こす可能性がある」と冒頭で述べました。確実な予防策があればいいのですが、残念ながら低血糖の予防策はありません。糖尿病の治療は血糖値を下げることが目的だからです。それがうまくいきすぎると、今度は低血糖のリスクが出てくるのです。

 血糖値を下げる薬の中には比較的低血糖を起こしにくいものもあれば、低血糖を起こしやすい薬もあります。低血糖のことだけを考えるなら前者の薬を使えばいいのですが、患者さんの中には、それでは十分に血糖コントロールを行えず、やむを得ず低血糖を起こしやすい薬を使わざるを得ない人もいるのです。

 血糖を下げる薬はさまざま出ているのに対し、低血糖に対してはブドウ糖注射液のグルカゴン、あるいは救急車を呼ぶしか手がなかったので、点鼻剤のグルカゴンが発売された意味は大きいと思います。

坂本昌也

坂本昌也

専門は糖尿病治療と心血管内分泌学。1970年、東京都港区生まれ。東京慈恵会医科大学卒。東京大学、千葉大学で心臓の研究を経て、現在では糖尿病患者の予防医学の観点から臨床・基礎研究を続けている。日本糖尿病学会、日本高血圧学会、日本内分泌学会の専門医・指導医・評議員を務める。

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