独白 愉快な“病人”たち

「急に声が細くなって…」歌手・平浩二さん 今年患ったばかりの「くも膜下出血」を振り返る

平浩二さん
平浩二さん(C)日刊ゲンダイ
平浩二さん(歌手/72歳)=くも膜下出血

 健康にはすごく自信があったんですよ。だから、まさか脳の病気なんて自分でもビックリでした。

 今年の4月5日のことでした。歌手が何組か集まって日本各地を回る夢グループのコンサートを行っていたんです。その日は、昼は山口県の宇部市で1部を終え、そのままみんなで1時間ほどバスに揺られて下関まで移動。修学旅行みたいにわいわいしながらコンサート会場に着いて、18時から2部がスタートしたところでした。

 和気あいあい楽しい一色で迎えたステージ上で、歌前の軽いトークを司会役の保科有里さんとしていたとき、「あれ?」と思ったんです。急に自分の声が細くなったんですよ。とっさにマイクの不具合かと思って音響スタッフに何か言いかけたその直後、首から後頭部にかけてものすごい痛みを感じたんです。ドーンというかグワーンというか、言葉には言い表せません。「これから『バス・ストップ』を歌わなきゃいけないのに」「歌い切れるかな」「歌わなきゃ」「でもどうしよう」とトークをしながら葛藤しました。

 そうこうしているうちにガンガン痛みが増してきたので、「1~2分座って休めば治るかもしれない」と思い、保科さんには申し訳なかったのですが、そっとステージの袖に引っ込みました。でも良くなるどころか痛みは強くなり、「これは普通じゃない」となって、スタッフに救急車を呼んでもらいました。

 歌わずにステージを降りるなんてプロ歌手として恥ずかしく、お客さまや関係者に申し訳ないと思いながら、人の手を借りてステージ衣装から私服に着替えました。救急車に乗り込んだのは夜7時ぐらい。搬送中「なんだ、この痛みは? もしかしてこのまま死ぬのか?」と心細くなりました。でも夢グループの石田社長が付き添って、ずっと話しかけてくれていたので救われました。話の内容はあまり覚えていませんが、心強かったことだけはたしかです。

 病院に到着したぐらいからの記憶はなく、気付いたのは手術も終わった2日後の昼でした。その間、僕はドクターヘリに乗ったようです。

 5日に救急搬送された病院の医師の判断でその場では止血だけして、翌朝ヘリで山口大学医学部付属病院に運ばれて本格的な手術が行われたのです。カテーテルを使い血管内からコイルを入れて塞栓する手術をしたようです。ありがたいことに脳神経外科の名医が担当してくださり、「とてもきれいにコイルが入っている」と、東京で診ていただいた先生がおっしゃっていました。

 入院は23日間に及びました。14日間は集中治療室で点滴だらけ。術後は頭痛が続き、日によって痛むところが移動していくので「本当に治るのかな」と不安でした。

 コロナ禍なので東京から駆け付けた家族にも会えず、寝ていても落ち着かない日々でした。

 そんな頭痛もだんだん落ち着いてきてだいぶ楽になってきたときに、医師から「これから4~5日が第二の山です」と言われてドキッとしました。結局、何事もなく乗り越えましたけどね。

 たくさんつながれていた点滴が日に日に少なくなっていって、背中に入っていた水頭症防止の水抜きの管も抜けてしまうと、不思議なものでちょっと不安でしたね。あんなに点滴が嫌だったのに「全部抜いちゃって大丈夫なの?」と看護師さんに聞いちゃいましたもん(笑い)。

■高血圧が原因だった

 あとから、最初の病院で止血をしてくださった先生が山口大学の出身で、名医との連携やヘリの手配など全部やっていただいたと聞きました。おかげさまで何の後遺症もなく、わずか40日後にはステージで歌うことができました。倒れた際、現場で機敏に対応してくれたステージスタッフと、救急車内で励まし続けてくれた石田社長、そして関わってくださった医療関係の方々の素晴らしい連携があったからこその奇跡だと思っています。

 原因は、意外にも高血圧だと言われました。僕はかかりつけ医にそんなことを言われたことはなかったですし、もちろん降圧剤など飲んでいなかった。コロナ前にはジムに通い、たまにジムで血圧を測ってもせいぜい130(㎜/Hg)とか140だったので、「ちょっと高めかな」ぐらいの認識で、血圧はまったく気にしていませんでした。コロナ禍ではジムが休業になったので、小1時間のウオーキングをして健康管理には気を付けていたつもりなのです。

 でも、原因が高血圧と言われて、いまは降圧剤を飲んでいます。毎日昼と夜、血圧を測るようになりましたし、少し体重が増えてきたので、ご飯は控えめにしています。

 つくづく健康が一番だと実感しました。後遺症はありませんが、23日間の入院生活ですっかり足腰が弱ってしまったので、時間をかけて少しずつ元の筋力を取りもどしたいと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽平浩二(たいら・こうじ)1949年、長崎県生まれ。1967年に歌手を目指して上京し、2年後に「なぜ泣かす」でレコードデビュー。1972年に「バス・ストップ」が大ヒットし、その後も多くのアーティストにカバーされている。50周年記念アルバム「50thアニバーサリー 平浩二~魅惑のすべて~」など作品多数。初代・佐世保観光名誉大使でもある。

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