独白 愉快な“病人”たち

岡村孝子さん「もうダメなのかなと…」急性骨髄性白血病との闘病で一時は弱音も

岡村孝子さん
岡村孝子さん(本人提供)
岡村孝子さん(歌手・59歳)=急性骨髄性白血病

 2019年4月に「急性骨髄性白血病」と診断され、抗がん剤治療と「臍帯血移植」をして今に至っています。

 18年の12月ぐらいからちょっと疲れやすさは感じていました。健康管理のために定期的にしている血液検査では、普段は6800前後ある白血球が、このときはおよそ4000でした。

 少なめながらギリギリ正常値だったことで、年末のコンサートの疲れだろうと納得してしまったのです。

 最初の異変は翌年2月に家族で行った金沢の兼六園で起きました。歩いていたら、これまでにないくらいひどく足がつって歩けなくなったのです。さらに3月、トークイベントで歌う3曲をスタジオでリハーサルしたとき、たった3曲なのに疲れ果てて歌い切れなかった。そこで初めて「これは運動不足とかの問題じゃないな」と思いました。

 その後、4月に消化器系内科の定期検診があったのでその結果を聞きに行くと、消化器に問題ないけれど、白血球が2000を切っていることが分かりました。

 再検査をしたらさらに数値が下がったことで血液内科の先生が呼ばれ、再々検査になりました。WT1という白血病の抗原細胞を調べる検査をして、その翌週に骨髄穿刺で骨髄液を調べた結果、白血病がほぼ確定になり「明後日入院です」と告げられました。

 入院してまず行われたのは、白血病細胞をやっつける抗がん剤治療です。白血球が少ないということは免疫力が低いことなので、医師からは「床に落ちた物を自分で拾わないように」などの注意がありました。その程度でも、菌やウイルスに感染する可能性があるからです。

 経過を見ながらいろいろな抗がん剤が使われたようです。そして2クール終わったところで、私の希望が「今後も長くステージで歌うこと」でしたので、この後、「臍帯血移植」を行うことにしました。

 なんとなく覚悟はしていましたけれど、ここからがつらい治療でした。移植のためには白血球をゼロにして、免疫力を100%なくさなければなりません。

 そのために、強い抗がん剤を大量投与するのです。

 病室は誰でも自由に出入りができない無菌エリア内。移植をしたらしばらくは個室のクリーンルームから出られません。ということで、その前に1週間だけ一時帰宅が許されて、その間にしゃぶしゃぶや焼き肉を食べに行きました(笑い)。ただ、生モノ全般、発酵物、生クリームはダメ。調理して30分以上たったものもダメという厳しい制限がありました。焼き肉のタレも未開封のマイボトルを持って行ったくらいです。

 一時帰宅から病院に戻ると、移植のための前処置として白血球をゼロにする強い薬を1週間弱投与。その1~2日後に移植となりました。それまでの抗がん剤では一度も吐くことはなかったのに、移植の後は頻繁に嘔吐しました。人生の中であまり経験がなかったので、「吐くって苦しいんだ」と身にしみました。

 白血球がゼロの間は口内炎も耳鳴りもありましたし、内出血をしやすいので転んだり、何かにぶつかったりしないように神経を使って過ごさなければなりませんでした。

 移植で命を落とす人がいることや、2週間たっても生着(血液細胞が正常に作られること)が見られないと移植失敗と聞き、生着が分かるまではドキドキでした。生着の有無を調べるのに、弱った血管から1日何度も採血をするので、腕がまっ黒になり、「こんなに毎日たくさん血を抜いて、違う病気になりませんか?」と怖いくらいでした。

 一番ひどいときはトイレに行くのもしんどかったです。でも、自分の身の回りのことは自分でした方が予後がいいというデータがあるとかで、なるべく自力で頑張りました。その甲斐があってか、幸運にも1週間もかからずに生着が確認され、移植は成功。おかげさまで9月に退院できました。

■退院後に6カ所の骨折が発覚

 帰宅しても初めは「寝る」と「食べる」しかできなくて、「もうダメなのかな」と思いました。けれど本当に少しずつできることが増えていって、歩けるようになり、ペットボトルが開けられるようにもなって、そのひとつひとつに幸せを感じました。

 じつは骨折もしていたんです。骨折といっても高齢者に注意喚起されている「いつの間にか骨折」(笑い)。入院中に背中や腰が痛くて調べたときには見つからなかったものが、退院して整形外科で診てもらったら6カ所も折れていました。それで半年間、コルセットを付けて過ごし、骨粗しょう症の薬を飲み続けていたら、ほぼ治りました。骨粗しょう症の薬は継続中ですけどね。

 今は目の前の一秒、一瞬、一日が本当に尊い。5年ほど寛解状態が続かないとまだまだ安心はできません。だから、「今日やれることは今日やる」「感謝の気持ちはちゃんと言葉にする」を実践するようになりました。

 コロナは怖いですけれど、与えられた今を楽しく過ごしていこうと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽岡村孝子(おかむら・たかこ)1962年、愛知県生まれ。82年に女性デュオ「あみん」として発表したデビュー曲「待つわ」が大ヒット。85年にはソロデビューし、87年発売の「夢をあきらめないで」がロングセールスを記録。中学校の教科書にも採用される。今年9月7日に「LINECUBESHIBUYA」(渋谷公会堂)で復帰コンサートを予定。9月8日にはソロデビュー35周年記念ベストセレクションアルバム「T’s BEST」が発売予定。

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