独白 愉快な“病人”たち

死ぬときはがんが最適…医師の石蔵文信さん全身がんを語る

石蔵文信さん
石蔵文信さん(提供写真)
石蔵文信さん(心療内科医/65歳)=前立腺がん・全身がん

 いい感じに日焼けしていて健康そうでしょう?(笑い)。最近、毎週ゴルフに行って、週2回テニスをして、自転車で走ったり、屋上で園芸しているからね。でも、元気でいられるのも今年いっぱいかなって気はするのです。

 体調が悪かったピークは昨年2月でした。だるくて食事がとれなくて、体重が7キロぐらい減りました。講演会もしんどくて、勤務先の病院で検査をしたら「前立腺がん」でした。それだけだったらまだよかったのですが、すでに全身の骨にがんが転移していることがわかりました。

 総合病院へ行ったけれども、全身がんとなると手術も放射線治療もできません。そこでホルモン治療となりました。前立腺がんは、男性ホルモンが多いと活気づくので、男性ホルモンを出さないような薬を毎朝飲み、月に1回は脳に作用する注射をします。これも男性ホルモンを出す命令を止める薬です。これらの治療がわりとうまくいって、がんが小さくなり、体調が改善してきたのでテニスやゴルフができているわけです。

 ただ、先月の診察で前立腺がんの指標であるPSA検査の数値が少し上がってきました。ホルモン治療が限界かもしれないので、抗がん剤か遺伝子的な治療を考えないといけない段階に来ているようです。遺伝子的治療の適応があるかどうかを調べているので、次の検診で今後の方針が決まると思います。抗がん剤はいやだけど、一度はやってみるかな、と思っているところです。

 昨年2月、体調不良の原因が分からなかったときが一番つらかった。僕も医者なので“マズイもの”だとは察していました。でも、データを見ても前立腺がんだけでは説明がつかない。それが全身がんだとわかったときは、「ああ、なるほど。この病気ならこのデータになるな」と納得できました。

 治療法もだいたいわかるし、最高に具合も悪かったので、冗談抜きで死をすぐそこに感じました。そこで腹をくくってしまったので、体調がよくなってきた今はラッキーぐらいに思って、わりと吹っ切れています。「あと2、3カ月先はわからない」と思いながら1年半生きている心境としては、「命が増えている」という感じ。ありがたいですよね。

■孫の世話と終活とスポーツで忙しい

 死がまったく怖くないわけではありませんが、僕はがんになる前から「死ぬときはがんが最適」と考えていました。がんは、人生の終わりまでのプランニングがある程度できるからです。そもそも長生きは絶対にイヤで、70歳ぐらいで死ねるのが理想だと思っていました。あと2、3年先だとすれば68、69歳までなので、まあいい感じかなと思っているんですよ。

 長生きがイヤな理由は認知症になって人格崩壊した姿をさらしたくないからです。今はこうして取材を受けても普通の話ができますけれど、そのうちはた迷惑なことを言い出すんです。実際、そういう例をたくさん見てきたからわかるのです。いろんなものがおっくうになって、認知機能も低下して、終活もまともにできなくなりますから。

 だから今、僕はどんどん終活しています。物は捨てているし、遺品整理リストも作っています。なにしろ物が多いから、後片付けの負担を軽くしないと家族が大変ですからね。あと、今診ている患者さんの紹介状も書き始めています。

 いずれ整理しなければ……と思っていたものが、こういうことになったので積極的に整理できるようになるという意味では、がんは悪いことだけではない。じつは、もう葬式の会葬の品も用意してあります。

 5年前に大学教授もやめて、仕事をグッと減らして、今は孫の世話と終活とスポーツで忙しい。一般に骨に転移していると骨がもろいからスポーツはあまりおすすめされないけれど、前立腺がんは骨がもろくならないタイプの転移をするんですよ。日に当たって運動すると骨が丈夫になるから、僕はがん治療をして調子がよくなってきてから趣味のテニスの回数を増やしたんです。

 そうしたら、やり過ぎて右腕がテニスエルボー(肘炎症)になったので、昔少しやったゴルフを始めました。ゴルフは右手をそんなに使わないんでね。父親ががんだと娘や婿も一緒に回ってくれますし、歩きながらいろんな話もできる(笑い)。すると今度は左手がゴルフエルボーになりました(笑い)。やっと解禁になりましたけどね。

 あと、がんになってよかったことは、お金遣いが少し大胆になること。80、90歳まで生きるかもしれないと思ったら、どうしてもチマチマするでしょう? 僕は今、寿司屋で一番いいやつが頼める(笑い)。がんになったら好きなことをすればいいんです。

(聞き手=松永詠美子)

▽石蔵文信(いしくら・ふみのぶ)1955年、京都府生まれ。三重大学医学部卒業後、国立循環器病センター医師、大阪警察病院循環器科医長などを経て、大阪樟蔭女子大学教授などを務めた。現在は眼科イシクラクリニック内で男性更年期外来を開設。著書に「妻の病気の9割は夫がつくる」などがあり、「夫源病」の命名者。「男のええ加減料理」の提唱や自転車で発電する「日本原始力発電所協会」の設立など、ユニークな活動でも知られる。

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