がんと向き合い生きていく

胃がんの妻を支えていた旦那さんに思いも寄らない出来事が…

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 主婦のOさん(56歳)は、進行した胃がんで腹水があり、がん性腹膜炎となった状態で他院から紹介されてきました。

 食事はか細いようで、お腹だけが膨らんでいます。小柄で、あまり話されず、何となく上目遣いに私を見る方でした。私が「もっと説明しましょうか?」と尋ねると、今度は下を向いて「大丈夫です」と答えます。

 むしろ、付き添いの旦那さんが「お腹の、この赤くなっている血管みたいなものは大丈夫でしょうか」とか、「今日はお風呂に入っても問題ありませんか?」といったような質問をされてきました。

 Oさんはすぐに入院して抗がん剤の点滴治療を行い、嘔気などの副作用が少なく、外来でも可能であることを確かめてから、通院治療となりました。診察の際は、いつも旦那さんが車で連れてみえられます。病院の玄関で車いすに乗せ、診察室に来て、診察が終わると点滴を受ける部屋に移動します。

 Oさんが点滴のベッドに横になると、旦那さんは小さな椅子をベッドのそばに運び、座って見守ります。私が点滴の注射を刺すと、旦那さんはニコッと笑顔で「ありがとうございます」と言われるのが、いつものことでした。

 抗がん剤の点滴治療は約1時間半かかり、週1回のペースで3週続け、その後、2週休みのスケジュールでした。次第に腹水は減り、それなりに効いていました。

 Oさんは「お腹が楽になった」と喜んでいましたが、それほど元気ではありません。食事をたくさん食べられているわけではなかった上、腸の動きが悪く、緩下剤を使っても便通が大変なようでした。

■病名を聞いて二度びっくり

 こうした治療が4カ月続いたある日、診察にいらしたOさんは、旦那さんと一緒ではありませんでした。付いてこられた姪の方と診察室に入ってくるなり、「夫が亡くなった」と言うのです。

 私は、びっくりしました。しかも、胃がんだったと聞いて二度びっくりでした。

 旦那さんは先週、突然吐血し、救急車で他院に運ばれました。その病院の医師は、緊急に内視鏡検査を行って大きな胃がんからの出血であることを確認し、輸血をたくさんしたものの、手術もできず、翌日に亡くなったといいます。

 胃がんであるOさんを一生懸命に支えていた旦那さんが、思いも寄らない同じ胃がんだったのです。そしてある日、突然先に亡くなってしまったのです。あの、いつも笑顔で付き添っていらしたOさんの旦那さんは、もうこの世にいないのです。何ということなのでしょうか。

 Oさんの、上目遣いに私を見る目には涙があふれてこぼれ、何も話せません。姪の方がハンカチで涙を拭いてくれていました。

 私は、なかなか言葉が出てきませんでした。しばらくしてから、「Oさん、頑張りましょう」と声を掛けたのですが、何かその言葉が自分でもしらじらしく感じ、「おまえはそんな言葉しか出てこないのか?」と心で自嘲していました。

 その頃から、Oさんの腹水は増えるようになりました。抗がん剤が効かなくなったのだと思います。1週間後、Oさんはほとんど食べられなくなって入院しました。両下肢は浮腫で象のように太くなり、尿はほとんど出ません。そして、数日で亡くなりました。

 ある看護師さんが「仲のいい夫婦なんだね。後を追うように亡くなるなんて」と漏らしました。それを聞いた私は急に腹が立って、「冗談じゃないよ。かわいそうじゃないか! バカヤロー」と心の中で叫びました。

 Oさんが亡くなって数日が過ぎ、診察の時に旦那さんが座っていた椅子を見ていると、車いすに乗って上目遣いに私を見るOさんと、車いすを押しながらニッコリほほ笑む旦那さんの姿が脳裏に浮かびました。

 やはり、仲のいいご夫婦だったのだ、と思い直しました。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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