前回、末期の心臓疾患で治療の手だてがなかった57歳の男性にブタの心臓を移植した、米国での「異種移植」についてお話ししました。人体で拒否反応が起こらないよう遺伝子操作して作られたブタの心臓が使われた手術でしたが、残念ながら術後2カ月で男性は亡くなりました。それでも、今回の異種移植は医学的に大きな一歩だったことは間違いありません。
治療のために人間以外の動物の臓器を使う異種移植の研究は、長年にわたって続けられてきました。心臓をはじめとした臓器移植しか治療法がない患者さんに対し、臓器を提供するドナーの数が大幅に少ないことから、異種移植は有力な解決策のひとつと考えられているからです。脳死ドナーからの移植が年間2万件近く実施されている米国でも、ドナー不足は深刻です。そのため、異種移植の研究が進んでいます。
かつて順天堂大学に所属していた医師は、20年ほど前に留学していた米ハーバード大で、遺伝子操作したブタの心臓をヒヒの腹部に移植し、約半年間生着させることに成功しています。これは、ブタ臓器の霊長類への移植としては当時の最長記録でした。近年は拒否反応を防ぐための免疫抑制剤の進歩などもあって、異種移植による生存期間はさらに延びています。
前回も少し触れましたが、人間への異種移植に使う臓器の提供動物としてはブタが最適だとされています。人間に近いチンパンジーやヒヒといった霊長類のほうが向いているのではないかと思われるかもしれませんが、霊長類の臓器は人間に適した大きさになりにくいうえ、人間と近いため人獣共通感染症を持ち込むリスクが高いと考えられているのです。また、そもそも頭数が少ない種族も多く、動物愛護や倫理的な観点からも好ましくないとされています。
一方、ブタの臓器はサイズを含めて解剖学的にも人間に近く、ブタは繁殖力が強いうえに食肉を目的に飼育されていることもあって、倫理的な問題も少ないと考えられているのです。
■人工臓器や再生医療にも欠点がある
心臓移植しか治療法がない患者に対するドナー不足の問題を解消する手段のひとつとして「人工心臓」があります。近年、技術的にも大きく進化していますが、あくまでも人工物なので、生体の臓器と比べてデメリットがあるのもたしかです。たとえば、出血しやすかったり血栓ができやすい状態の人は、合併症を起こす可能性が高くなります。また、糖尿病などの持病があって傷が治りにくい場合、人工的な異物を埋め込むにはリスクがあります。
生体の心臓は、そうした人工心臓で見られるリスクが軽減されるうえ、本来の心臓が持つ機能をそっくりそのまま移植することができるのです。もちろん、免疫による拒絶反応、感染症や合併症、倫理的な問題などたくさんのハードルがあるのは事実です。しかし、これからも異種移植の研究が進み、安全性の問題がクリアになれば、人工臓器の移植よりもメリットが大きくなる可能性があるといえるでしょう。
もうひとつ、ドナー不足に対する解決策として「再生医療」が挙げられます。その代表といえるのがiPS細胞です。細胞というものは分化をどんどん繰り返して、ある特定の機能を持つようになります。それがiPS細胞は「未分化細胞」なので、心臓や胃腸など体のどんな臓器にもなることができます。そのため、患者さんが必要としている臓器をiPS細胞から作り出し、移植する方法が期待されているのです。
しかし、未分化細胞は分化の過程でがん化する可能性があり、そうなったときの悪性度が極めて高く有効な治療法も見当たらないのが現状です。いつ、がん化の引き金が引かれるかもわかりませんし、移植してからがん化する可能性もあります。そうした欠点が解消されるにはまだ時間がかかりそうな状況です。
このようなそれぞれのメリットとデメリットを考えると、異種移植の研究がさらに進んでいけば、人工臓器や再生医療とともにドナー不足を解決する手段のひとつとして、異種移植が実用化される可能性は十分にあるといえるでしょう。
異種の臓器は人間にとって“異物”ですから、どうしても何らかの拒絶反応が起こります。しかし、一部のウイルスや細菌のように、人間の体の中で共存できるようになる方法はあると考えられます。こうした観点からも、異種移植の研究は「病気」というものの本質に迫る可能性があるのです。医療者の立場からすると、さらなる進化、発展を期待しています。
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