老親・家族 在宅での看取り方

夫婦2人で旅行がしたい 死ぬ瞬間まで自宅で仕事をしていたい

写真はイメージ
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「ただただ死ぬ瞬間まで、自分の仕事をしていたい」

 61歳の男性は、建具や表具を取り扱う職人さん。ご自宅に隣接する作業場で、障子や襖の「骨」などを作ったり、その骨に障子紙や襖紙を張る仕事をされていました。

 この男性は、膵頭部がん。膵臓は胃の後ろにある細長い臓器で、この右側の膨らんだ膵頭部にできるがんが膵頭部がんです。膵臓は、がんができても症状が出にくく、不調を感じ、病院を受診したときにはかなり進行した状態であるケースが珍しくありません。

 男性も例外でなく、がんは腹膜を経て十二指腸に転移。膵頭部と十二指腸の切除手術、そして抗がん剤治療も受けましたが、結果は芳しくない状態。胆管炎や、腸の働きが悪くなるイレウス(腸閉塞)を合併しており、口からの食事はできなくなっていました。病院では24時間点滴を受けながら、がんに対する積極的治療ではなく、症状緩和の治療のみを受けていました。

 冒頭の言葉は、男性が奥さまに漏らしたもの。病院で過ごすより、作業場がある自宅で過ごした方が夫は幸せなのではないか。奥さまはそう思い、私たちのクリニックへ相談の連絡をくれたのでした。ただ一方で、医療への不信感も抱いておりました。入院中に投与された鎮静薬の副作用で、男性の体調がひどく悪く、ほぼ寝たきりのようになった経験があったからです。

「病気の治療のためとはいえ、鎮静薬でかえって悪化したように見えました。病院ではなく在宅で、緩和医療も適切に行ってもらえるのでしょうか?」

 私やスタッフは、今後の病状進行に伴い、どのような痛みが出てくるのか、その場合どのような対応が可能で、がんの種類によってどう違いがあるのかなど、過去の事例をひとつひとつ示しながら、男性と奥さまに説明をしました。納得してもらった上で、3カ月前から在宅医療スタートとなったのですが、その都度、不安や疑問が湧いてきます。私たちの仕事は、質問されるのを待っているだけではダメ。男性や奥さまの様子を見ながら、不安を覚えているであろうことをすくい上げ、それを解消するよう努めました。

 2カ月ほど経った頃でしょうか。男性は薬の種類や投薬のタイミングなどの工夫で日常生活が送れるほどまでに体調が戻り、「生きがい」と言っても大袈裟ではない仕事も再開できるようになりました。あるとき、男性と奥さまからこんなことを切り出されました。

「2人で箱根の温泉に1泊2日の旅行をしたい」

 入院中は食事もできない状況でしたから、旅行なんて考えることもできなかったが──。

「旅行に行けるなら今かなって。こうやって、病院じゃなく、せっかく自宅にいるのだから。もう僕たちもこれが最後の旅行になるんじゃないかと思っているんです」

 人生の終末期を「自宅で過ごす」のと「病院で過ごす」のとでは、何が最も違いますか? そう問われた時、真っ先に伝えたいのは、「自宅(在宅医療)では、患者さんがやりたいように過ごせます」ということ。温泉旅行の思い出を語るお2人の楽しそうなこと……。「死ぬ瞬間まで」という希望をかなえられるよう、男性、奥さま、そして私たちスタッフが一丸となって、現在も「最高の療養」を模索中です。

下山祐人

下山祐人

2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。

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