老親・家族 在宅での看取り方

前立腺がんの80代男性「自力でトイレに行きたい」と自宅療養を選択

写真はイメージ
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 ADLは「Activities of Daily Living」の略称で、日本語では「日常生活動作」といいます。つまりは、日常生活を送るために必要な日常的な動作のことです。

 具体的には、食事、排泄、入浴、更衣、家事、社会活動、コミュニケーション。もう少し詳しく説明すると、「BADL」と「IADL」の2種類があり、「BADL」は食事、排泄、入浴といった基本的な日常生活動作。「IADL」は家事動作、趣味活動、社会活動、コミュニケーションといった、基本的な日常生活動作と比べると、やや複雑な動作になります。

 ADLが低下すると社会参加の機会が少なくなり、生きがいや役割を見いだせず家に閉じこもりがちになり、心身ともに機能が低下していきます。だからこそ、ADLはできる限り低下しないようにしたい。ところがこの「ADL」は、入院すると急激に低下してしまうケースが少なくないのです。

 さまざまな人の手を借りながらも自宅でなんとか生活していた人が、骨折や病気で入院となり、わずか数週間後にはおむつ生活に……。こんな悲しい展開を、これまで数多く見聞きしてきました。

 ADL低下予防のために最近、在宅医療を選択した前立腺がんの男性(80歳)がいます。

 前立腺がんは男性ホルモンの分泌を抑えるホルモン療法が有効です。しかし、やがてはそれが効かなくなる。こうなった前立腺がんを「去勢抵抗性前立腺がん」といい、この男性もまさにそうでした。

 去勢抵抗性前立腺がんでは抗がん剤などの治療が行われます。しかしそれも効かなくなってきた。前立腺がんによる痛み、排便状態悪化があり、今後さらにひどくなる可能性を考えると、緩和医療のために入院も……という話も出てきたのですが、ご本人と娘さんは「(過去の入院経験から)ADLが低下するのは避けたい。自力でトイレに行きたい。在宅で」との希望でした。

 ある日の私たちのやりとりです。「浣腸したってしょうがないじゃん」という男性に対し、「浣腸が必要ないっていうのは喜ばしいことですけど、例えば熱が出たりしたらすぐ対処できますから」と私。すると男性は「じゃ、それ入れてもらおうよ」。娘さんが「こないだ、それは嫌だって言ったじゃない!」とツッコむと、男性は「あ、キャンセルしたんだった」。この男性は、すごく率直に意見を述べる方なんですね。トイレも、現在のところ伝え歩きをしながら、自分で済ませている。入院生活では「伝え歩き」は転倒の危険ありとみなされ、止められていたでしょう。他にもさまざまな制限がある。

 したいことができず、動きたいように動けない入院生活は、男性にとってはさぞかし窮屈なもの、ストレスフルなものになったと思います。ADL低下が進み、生きる意欲が下がり、意見をポンポン言う男性とは別人のようになっていたかもしれません。

 先日も、私が「栄養ドリンク飲みました?」と聞くと、「そんな得体の知れないものは飲んでない」と男性。“得体は知れているんですが”と心中苦笑していると、奥さまが「処方箋が出ているんだから! 得体は知れているのよ!」。

 何げない会話の積み重ねも、患者さんのADLを確認するために大切なことです。

下山祐人

下山祐人

2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。

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