がんと向き合い生きていく

がん遺族会から届いた冊子を読んでいたら心が温かくなった

写真はイメージ
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「青空の会のつどい」という冊子が届きました。がんで家族などを亡くした方々が集うがん遺族会が発行する冊子で、今回が116回目になります。

 2011年1月、この会から講演を依頼された私は、「緩和ケアの今、そして未来」という演題でお話しさせていただいたと記憶しています。

 その前年の秋から、私は胸痛などの症状があり、急きょ12月30日に某病院で心臓の冠動脈バイパス手術を受けましたが、翌年1月7日に無事退院することが出来ました。おかげさまでこの講演には間に合ったのです。しかし、長時間の講演はとてもきついと感じたことから、講演後の討論はもうひとりの演者にお願いして失礼しました。

 この年は、3月3日に日本胃癌学会が青森県三沢市で開催され、司会など予定の仕事は無事に終えて帰れたのですが、その約1週間後の3月11日、東日本大震災が起こったのでした。

 話を戻します。

 あの講演以来、青空の会からはずっと冊子を送っていただいております。多くの遺族の方からの「お便り」の欄では、がんで夫を、妻を、お子さんを亡くした方々の思いがつづられています。

 これまでの幸せから、急にひとりで生きることになる──。とても厳しいことだと思います。共にある、共に生きるということが、どんなに大切であったかを知らされます。

 深く沈んだ心が蘇るまでは、人によって大きく違うと思うのですが、この冊子から、たくさんの方の心が救われているのがよく分かります。人は、みんな死ぬ、必ず別れがある。「別れて残されるよりも先に死んだ方が楽」と話される方もおられますが、一方で、死ぬことも楽かどうかは分かりません。いずれにしても、残された者はそれぞれ生きていかなければなりません。

 青空の会のつどいの冊子には、「夫の死から24年が過ぎました。(中略)お墓の前では守って下さい、助けて下さいとお願いごとばかり……いつになったら安心してくださいといえるでしょうか?」とありました。とてもよく理解できる気がします。

■遺族からの手紙に勇気づけられたことも

 厳しい人生経験を吐露することによって、あるいは聞き役に回って、助けられることも多いのだとも思います。私はこれまでたくさんのがん患者を診察させていただいてきましたが、遺族の方のケアは十分に出来ていなかったとつくづく思います。

 1年に1回、病院で亡くなり、解剖させていただいた方の家族に集まってもらい、追悼の会を行いました。この会に出席された遺族の方々は、久しぶりに担当医や看護師に会い、当時を思い出し、多くは涙されました。

 出会いと別れを繰り返すのが人生、そうは言っても、家族との別れはとても悲しいことです。「グリーフ(深い悲しみ)ケア」が大切といわれるようになって、今はグリーフケアの研修や講習を行っている施設もあるようです。

 ある患者さんの遺族(奥さん)から、こんな手紙をいただいたことがありました。

「主人が亡くなって100日が過ぎました。たったひとりになってしまいましたが、なんだか温かい気持ちで生きています。ありがとうございました」

 この手紙にむしろ私が勇気づけられ、「次にまた、終末期となったがん患者さんのお世話が出来る。一生懸命に診療にあたることが出来る」と思いました。

 私自身も、両親をあの世に送り、お墓に行って「見守っていてください」とお参りします。また、家の小さな仏壇の前では、新しいご飯をあげ、ろうそくと線香をともします。仏壇の奥には父母がいて、祖父母が、生まれて間もなく死んだ兄もいます。

 青空の会のつどいの冊子を読んでいると、なぜか心が温かくなってきます。この会では、冊子の発行だけではなく、ハイキングなどいろいろ企画されておられます。終末期医療、人の死は科学よりももっともっと広いものだと心底から思います。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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