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「美しい死」に感じる造詣の深さ 病理学者・森亘先生の言葉

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 以前、病院の経営会議の座長をお願いするため、医療科学研究所に初代理事長の森亘先生(2012年没)を訪ねた時のお話です。

 会議の内容を30分ほど説明し、先生にご了解いただいてから私は席を立ちました。研究所の入り口で挨拶をして失礼したのですが、森先生はわざわざエレベーターの所までついてこられます。そして扉が閉じるまで直立し、背筋をすっきりした姿勢でそこにおられるのです。まさに恐縮してしまいます。こちらからお願いにあがっているのに、その謙虚な態度にとても感激して帰りました。

 じつはその翌年も、まったく同じことがありました。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があります。人間は、偉くなればなるほど威張ったりはしない、謙虚になられる。本当にそのように思いました。

 森先生は病理学者で、東京大学の総長を務められた方です。森先生が書かれた「美しい死」という本があります。ある時、森先生が心から敬愛されていた病理学者の太田邦夫氏が膵臓がんで亡くなられ、剖検(病理解剖)になりました。「解剖を拝見しての感想はいかがですか?」と問われた森先生、思わず口をついて出た言葉が「美しい死であったと感じました」でした。

「必要にして十分、要するに適度の治療が施された遺体には、それらを見事に反映している実像・所見、といったものがあることに気づくようになりました。そして、このように適度な医療が施された後の遺体には、その内臓には、それなりの美しさが感じられることに気付いた次第であります。……たとい最新の先端的治療が施された後であっても、それが適度であれば、そこに残されている変化は概して古典的で、自然です。すなわち必要にして十分な治療の結果は、その疾患の結末として起こるべくして起こった変化の集まりであり、あまり大きな修飾は感じられないように思われます。別な言葉を用いるならば、節度ある医療の結果と申せましょう。では、このようなものを何故『美しい』と感じるのか、それはまったく不思議なことで、実は私にも分からないのです」

 森先生は解剖を担当され、そのご遺体から「美しい死」を感じたのです。

 私はこれまでたくさんの患者さんのみとりをし、解剖に立ち会わせていただきました。しかし、「美しい死」と思うことも、感じることもありませんでした。

■医師に知識、教養、品位を求めている

 以前、私が勤めていた病院にも、謙虚な、姿勢の正しい方がおられました。長年、整形外科部長として勤務された先生で、ある知事のご親戚にあたられる方と聞きました。たまたま廊下でお会いすると、ぺいぺいの私に対しても、足を止め、礼をされるのです。私も思わず足を止め、礼をします。いつもとてもすがすがしく感じたのでした。

 自慢の話になりますが、私の父は元気な頃は背筋がすっきりとして、姿勢が良かったように思います。長年、鉄道員として働いていましたが、過去に近衛兵でありました。私は、「お父さんがあんなに良い姿勢なのに、どうしてあなたは猫背なの?」と注意されたことが何回もあります。それを気にもとめず、少しも直さなかったからか、今になって腰痛に悩まされています。自業自得なのかもしれません。

 森先生は「美しい死」の中で、「国手」という言葉を書かれています。

「国手とは、おそらく、国を支えるという程度の意味でありましょう。これは上医、すなわち優れた医師は国を癒やすと言う言葉から生まれたものであり、『上医は国を治し、次は人を治す』と記されております」

 医師に、しっかりした知識、教養、品位を求めているのです。森先生の「美しい死」にあるその言葉に、私にはとても到達しえない造詣の深さを感じました。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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