がんと向き合い生きていく

「家に帰りたい」と漏らす大腸がんの夫…看護と介護を決めた妻の思い

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 大腸がんの治療を受けている男性患者(75歳)の奥さんのお話です。

 ◇  ◇  ◇

 抗がん剤治療の予定だったのに、担当医から「体力的にもう無理です」と言われ、入院している夫も「家に帰りたい」と言います。

 転移した骨に放射線治療をしていました。痛みはだいぶ治まってきているようです。放射線治療は、同じところにたくさん当てるのは原則的に無理のようです。

 自宅の夫の部屋は2階にあります。「帰りたい」とは、自分の部屋に帰りたいのだと思い、そうしてあげたいと思いました。食事などを運ぶために2階へ上がったり下りたりしなければならないのですが、それはそれでなんとかしようと思います。

 いつまでも、急性期病院であるこの病院にお願いするのが無理なのは分かっています。ホスピスはなかなか待機している人が多くてすぐには入れないそうです。でも、申し込みだけはしておきました。

 家では、どうしようもなくなった時が心配です。がんが分かった時に、その時に早く申し込んでおけば……とも思いますが、その時は治すことが一番で、ホスピスはまったく思い浮かびませんでした。

 夫は「病院の食事はもういやだ」とも言います。家では、病院ほど考えた体に良い食事は出せませんが、何が食べたいか、少しは希望の物を出してあげられるようにも思います。おかゆくらいは作れます。

 洗濯や着替えなど、日常のことは大丈夫と思いますが、まったく動けなくなったらどうすればいいのか、そこが心配です。でも、先のことは分かりません。明日のことも、まして明後日のことは皆目分かりません。家に帰ったら、私ひとり、頑張るしかありません。そう、思っています。

 病院で紹介されたケアマネジャーさんと相談しました。看護と介護と、私がどこまで出来るのか。分からないまま、それでも退院に向けて家の準備を始めました。

 病院への通院は、難しいとなれば在宅医師の往診だそうです。病院が紹介してくださったお願いする医院は「週1回なら」と言ってくださいました。まだ、お会いしてはいません。退院後は、薬や医療用麻薬もそこで処方されるようです。

 いちばん心配なのは、急な時のことです。息が苦しくなるのか、痛みが出るのか、その時、どうすればよいのかが分かりません。急に、どうなるのか、それは分かりません。

 急な時に連絡して相談できる先はどこか? ということが心配でした。お願いする医院から「夜中でも連絡して大丈夫」と言われてホッとしました。

 なにはともあれ、○月○日に退院となりました。その日は、息子も仕事を休んで手伝ってくれることになりました。偶然とは思いますが、○月○日は私の母の命日です。

 それから、なんとなく気になっているのは「本人は病気をどこまで分かっているのか? 覚悟出来ているのか?」ということです。なにしろ、コロナ禍で面会時間の制限もあって、ゆっくり本人と話し合ってはいないのです。

「本人は病気についてどう思っているのだろうか」と、担当医に聞いてみたいと思ったのですが、病院でそれを話題にして話し合うのは無理のようにも思いました。家に帰れば、コロナもなにもないのです。

 ○月○日、退院しました。いろいろ不安はあっても、家に帰ってきました。息子が背負って夫を2階のベッドに運んでくれました。本人のニッコリした笑顔を見て、私はホッとしました。これで良かったのだと思うことにしています。

 いつまで、長く落ち着いていてくれるか、そして私がどれくらい頑張れるか。休みの日にまた、息子が手伝いに来てくれると言ってくれています。

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 がんと闘う患者や家族の思い、状況はさまざまです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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