がんと向き合い生きていく

化学療法の前に受精卵の凍結保存を選び授かった子供が希望になった

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 医療従事者のMさん(43歳・男性)は、ある病院で悪性リンパ腫の診断を受けました。奥さんは35歳、結婚してまだ3カ月でした。

 Mさんは全身化学療法を行う前に奥さんと一緒に産科のある病院に行き、受精卵の凍結保存をすることにしました。強い化学療法を行った後では精子が減り、子供が出来なくなるかもしれないからです。Mさんは、「妻は大変だろう」と思いましたが、本人はむしろ積極的に同意してくれました。

 その後、Mさんの悪性リンパ腫の治療は順調に進み、表在リンパ節は一時的に消えました。Mさんが寛解して元気な時に、奥さんは凍結した受精卵で妊娠し、そしてかわいい男の子が生まれました。

 ところが3年後、Mさんのリンパ腫は再発し、今度は骨髄にもリンパ腫の細胞が浸潤し、大変厳しい状況となりました。

 再発した3回目の入院の時、Mさんは担当医に生まれた子供の写真を見せて言いました。

「頑張ります。よろしくお願いいたします」

 担当医からは、「かわいいですね。息子さんですね。一緒に頑張りましょう」との言葉が返ってきました。つらい治療が繰り返される中、Mさんにとって子供は唯一の希望の星でした。自分の命がつながった、そのことだけではありません。

「この子のために、頑張って、病気を克服し、元気になるんだ」

 そう、自分で自分に言い聞かせました。つらい再発治療の中で、Mさんは思いました。

「頑張って治療しても、もしかして自分はダメかもしれない。助からないかもしれない。もし、このまま死んだら、自分の人生は何だったのか? そうだ。自分の生きた証し、自分が生きた意味は、この子を残せたことかもしれない。こんなかわいい子を残せた。そういえば思い出した。若い時、父が言っていた。自分が『何のために生きたか、人生で何ができたか』と問うたとき、父はこう答えた。『おまえたちを残せたことだ』と。そう答えていたではないか……」

 そう自問自答して、Mさんは病気と闘いました。しかし、残念ながらその6カ月後、Mさんは亡くなりました。

■白血病では末梢血幹細胞の凍結も

 Mさんのお話は、がんになった患者が男性の場合です。女性ががんになった場合でも、化学療法により卵巣機能が低下する可能性があります。また、健康でも、卵子は加齢とともに老化し減っていきます。もし、卵子凍結する場合、実施できるのは35歳以下と決められている施設もあるといいます。

 卵子がどのくらい長く保存できるのか、はっきり分かっていませんが、施設によっては患者が50歳を越えたら廃棄すると決まっているところもあるようです。妊娠・出産の危険度が高くなるからとのことです。たしかに、長く保存はできたとしても、女性が健康で適切な時期に出産することは大事だと思います。

 東京都は2023年度、健康な女性の卵子凍結にかかる費用を1人あたり30万円程度助成することに決めました。少子化対策の一環で、未婚の女性が将来の妊娠・出産の可能性を残せるよう後押しするようです。高齢出産にはならずに、若いうちに仕事をしながらでも出産できる、キャリアに不利にならない社会でなければならない--日本社会の大事な課題だと思います。

 私は産科の医師ではないので、精子や卵子の凍結に詳しくはありませんが、白血病の治療で末梢血幹細胞の凍結はずいぶん行いました。赤血球を除去し、プログラムフリーザーでCD34細胞をマイナス196度の液体窒素タンクで保存します。いわば“命の保存”です。これも、施設によっては15年経過したものは廃棄されるようです。

 私は、亡くなったMさんのことを思うと、奥さん、そしてお会いしたことはない息子さんが、元気で生活されていることを祈るばかりです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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