安全で確実な心臓手術を行うためには、「心筋保護」が欠かせません。心臓手術全体の25%は心筋保護が占めているといえるくらい大事なもので、手術成績を左右する重要な因子です。
心臓や血管のトラブルなどにより心臓の筋肉=心筋への血流が途絶えると、心筋に酸素が送られず酸欠状態になって心筋細胞が障害されます。心臓への血流が途絶えている=虚血の時間が短ければ、血流を再開することで心筋細胞は後遺症も残さず回復するのですが、虚血の時間が長くなって心筋細胞が障害されたまま元に戻らなくなった状態で血流を再開すると、かえって心筋障害が悪化することがわかっています。これを「再灌流障害」と呼んでいます。
そのため、心臓を停止させて行う心臓手術で心筋保護が不十分だと心筋細胞が障害され、術後に血流を再開しても心臓の収縮が不良で心機能が戻らなくなってしまうのです。ですから、心臓を止めて手術を行う場合は「心筋保護液」という特殊な液体を心筋に注入して心筋を保護する必要があります。
心臓を動かしたまま手術を行うオフポンプ手術では、心筋保護液は使いませんが、心筋保護に対する注意はやはり欠かせません。たとえば、心臓の血管にトラブルがあると、血圧が下がったときにより悪化しやすい部分ができるので、そうした部分には血流を維持させるために優先してバイパス(迂回路)をつくります。これも心筋保護のひとつです。
ただ、今回は心臓を止めて行う手術における心筋保護液を使った心筋保護についてお話ししていきます。
基本的に、心臓手術は心臓を止めて処置することで術野の出血の制御が可能となるので操作がしやすくなります。しかし、先ほども触れたように、心臓を止めて心臓への血流が途絶えている時間が長くなると心筋細胞へのダメージが大きくなり、心筋は壊死して元に戻らなくなってしまいます。それを回避するため、心筋保護液を使ってできる限り心筋へのダメージを小さくするのです。
心筋保護液は、心筋細胞の代謝を落としてエネルギーをできる限り温存し、心筋細胞を破壊しないようにするために開発された薬液で、主にカリウム、マグネシウム、カルシウム、ナトリウムなどの成分が含まれ、現在は大きく細胞外液タイプと細胞内液タイプの2種類が使われています。日本では細胞外液タイプが保険適用になっています。また近年は、血液を混ぜた血液心筋保護液も使われています。
■心筋保護液がしっかり投与されているかの確認が重要
心筋保護液は、心臓を止めた手術の際に体外で血液循環を維持する人工心肺装置に付属した機器で患者さんに投与し、状況を見ながら一定時間ごとに再注入します。かつては、外科医が注射で投与したり、心筋保護液が入ったケースをガートル台というスタンドに吊るしながら麻酔科医が投与していた時代もありました。それが機械による投与が可能になったことで、心臓保護液がきちんと投与されているかをしっかりモニタリングできるようになりました。抵抗や注入圧の数値を確認したり、経食道心臓エコーなどによる画像で投与の状況を確認すれば、ほぼ万全といえます。
昨年10月に問題視されたMICS(ミックス)と呼ばれる小切開手術における“死亡事故”では、心筋保護液の投与に問題があったと指摘されています。心筋保護のトラブルというのは、いわゆる「見込み運転」で起こる場合が最悪のケースです。「いつものようにやっているから問題ないだろう」と、外科医本人の経験だけを妄信して、機器による客観的な確認をおろそかにしていると、大きな落とし穴にはまってしまうのです。
心臓保護液がきちんと血管を通って心筋まで送られているか、届いていない箇所はないか、逆流が起こっていないか……たとえば処置の最中に血管の中に空気が入ってしまった場合、そこから先には血液や心筋保護液は流れていきません。そうしたトラブルを常に監視することが求められます。それくらい心臓手術における心筋保護は重要です。
先ほどお話ししたように、心筋保護液は状況を見ながら一定時間ごとに再注入します。投与の間隔はガイドラインなどで決められてはいませんが、私が執刀する手術では、静脈側からおよそ40分ごとに1回、動脈側から60分ごとに1回の間隔で投与しています。患者さんの状態によって変わりますが、これがベースになっています。
次回は、心筋保護の歴史を簡単に振り返りながら、私が行っている現在の心筋保護の方法、すなわち心臓血管外科の“守りの要”についてさらに詳しくお話しします。
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