Dr.中川 がんサバイバーの知恵

上岡龍太郎さんの訃報で改めて「がんで死にたい」と思い直した

元タレントの上岡龍太郎さん
元タレントの上岡龍太郎さん(C)日刊ゲンダイ

 元タレントの上岡龍太郎さんの訃報が報じられました。享年81。先月半ばに大阪府内の病院で息を引き取り、葬儀などはすでに身内で済ませたそうです。

 2000年の突然の引退から23年。レジェンド芸人の命を奪ったのは、肺がんと間質性肺炎と伝えられています。

 肺がんについては10年ほど前から闘病されていたらしく、長男小林聖太郎さん(52)は「昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりました……」とコメント。昨秋以降は「急展開」だったそうです。

「急展開」はともかく、上岡さんが肺がんを抱えながら10年頑張った事実。それも昨秋までは、その都度、治療しながら生活できる状態をキープしていたであろうということです。

 私ががん専門医になったころ、肺がんは予後の悪いがんのひとつでした。全国がん罹患モニタリング集計によると、1993~96年に肺がんと診断された患者さんの5年生存率は22.5%。肺がんで5年生きる人は5人に1人でした。

 それが今や全体で47.5%と当時の2倍以上。ステージ1に限れば85.6%です。上岡さんのように肺がんで10年生存するのは、決して珍しくはありません。

 なぜか。男性の喫煙率の低下がひとつ。もうひとつは薬物治療の進歩で、特に分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤の貢献が大きい。

 すべてのがんで、手術と放射線、薬物治療の位置づけがステージごとに決まっています。それが標準治療で、ある治療が効かなくなると、次の治療に移行します。この治療選択において、前述の長男のコメントに重要なことがありました。

「積極的な治療の術がなく本人も延命を求めていない」

 この一言です。「積極的な治療の術がなく」は、薬物治療の選択肢がなくなったことを意味します。それで延命治療をしなかったようですが、それでも10カ月近く生存されました。

 その間、積極的な延命治療はせずとも、痛みを取り除く緩和ケアはされたでしょう。そうすれば、痛みや苦痛から解放され、家族と会話することができる。10カ月近くあれば、お互いかなりのことを伝えられます。

 長男は「母も私もまだ気持ちが追いついていない状態です」と話していますが、少なくとも訃報の発表がこのタイミングなのは、家族との会話があったからでしょう。

 実はこのGW、1人暮らしの私の母が急死しそうになりました。その後回復しましたが、あの日を思い返すとゾッとします。そんな後だけに、上岡さんの10カ月近い時間はやっぱり重い。改めて、私もがんで死にたいと思います。

中川恵一

中川恵一

1960年生まれ。東大大学病院 医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。すべてのがんの診断と治療に精通するエキスパート。がん対策推進協議会委員も務めるほか、子供向けのがん教育にも力を入れる。「がんのひみつ」「切らずに治すがん治療」など著書多数。

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