がんと向き合い生きていく

新型コロナは「人の別れ」に大きく関わる…まだ安心できない

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

「青空の会(がん遺族の会)のつどい」という会報が届きました。夫や妻、家族が亡くなった方からのお便りです。

 この冊子が届くと、毎回、一気に読むのは「こころのひろば~寄せられたお便り」のコーナーです。今回は、編集されている中野貞彦さんが、日本ホスピス・在宅ケア研究会の会報に「コロナ禍のもとでの最期のお別れを考える」と題して書かれた論文が同封されていました。そこには、「コロナ禍による厳しい制約のなかで医療者、スタッフによる最大限に最期の別れを意義あるものにしようという意識がみられた。しかし、コロナ禍の影響は顕著で、看取りのプロセスを共有する時間、接する機会が奪われて、社会的に強制された不完全な喪失がみられたといえる」とありました。

 この会報を読んで、3年前に届いた某病院の看護部長からのメールを思い出しました。

「○月○日、看護師、病棟夜勤者が来なかったので、自宅に行き警察に部屋のドアを開けてもらったら浴室で倒れていました。自発呼吸はあり、近くの病院に運ばれたのですが、翌日に亡くなりました。脳梗塞でした。感染症病棟で働いていまして、心臓疾患の既往歴があるため、念のため○月より一般病棟に移動させたばかりでした。運ばれた病院では、コロナの疑いでPCR検査の結果が出る前に亡くなった場合はコロナ患者として処理されてしまうという説明を聞き、PCR検査の結果が出るまで待ってもらうよう説得して、1日その病院にあずかっていただきました。結果は陰性で翌日にお迎えに行きましたが、ビニール袋に入れられて返されました。ここまでしないといけないのでしょうか。まるで物です……せつないです」

■「ヒューマニティー」の語源は「埋葬する」

 このメールを目にして、終戦の頃、篠原正瑛という哲学者が「ヒューマニティー」という言葉の語源は「埋葬する」と書いていたことを思い出しました。

「ご遺体を粗末にして、人を愛せることなど出来るはずがない」

 がん患者の場合は、終末期の告知などいろいろな場面があっても、たとえあと3カ月の命と言われても、考える時間、そして看取る時間はありました。しかし、コロナによる死は、考える時間がない、家族の看取りも出来ず、亡くなっても遺体にも会えず、焼き場でも立ち会えず、骨になって家族に渡されたという報道がありました。たしか、亡くなられた岡江久美子さんや志村けんさんの時もそのようだったと記憶しています。

 この不条理さは何なのでしょう。この3年間、病院で亡くなった方の看取りは、どこまで許されたでしょうか? 病院側はクラスター発生を怖がります。いろいろ配慮されたと思いますが、家族の面会制限は1日30分とか、2人までとか、厳しかったと聞きます。「人の別れ」にコロナは大きく関わりました。さよならも言えずに別れた方も多かったのではないでしょうか? 葬儀も簡略化され、家族葬という形が増えたようにも思います。

 自宅近くにある夜の飲食店の入り口に、「市の感染予防の決まりを守っております。安心してお入り下さい」と張り紙がありました。それでもお客さんは少なそうで、数日前、閉店しました。

 この3年、友人からの食事会の誘いもほとんど断ってきました。知人と会っても、お互いマスクをしていて、余計な冗談を言い合うことも減った気がします。

 がんであろうとなかろうと、コロナ感染症は人と人を遠くしました。私が関係しているテレビ会議に何回か参加しました。会場まで出向かなくて済むのですが、その分、激論は少なくなったように思います。

 先ほどの看護部長からのメールの一文です。

「コロナ戦争で、いろんな制限があり、失ったものもあるかもしれませんが、医療従事者として、患者さんの最期に心まで失わないようにしたいです。ウイルスと人間の戦いなのか、人間同士の戦いなのかわからなくなっちゃいました」

 暑い日が続き、道行く人のマスク姿は減りましたが、コロナ感染者は増えているようで、まだまだ安心できません。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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