上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

退職した中高年は心臓病リスクが低くなる…考えられる理由

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 退職して働くのをやめた中高年は、心臓病のリスクが低い--。今年5月、そんな研究結果が報告されています。

 京都大学などの研究グループが、日本をはじめ米国や中国など35カ国の中高年(50~70歳)約10万人を対象に平均6.7年間追跡調査した結果、退職した人は働き続けている人よりも心臓病のリスクが2.2%低いことがわかりました。この数字は、仮に国内の60代就労者が全員退職した場合、心臓病の患者が約20万人減少するのに相当するそうです。

 この調査では、健康な人ほど仕事を続けやすいという偏りを取り除く統計手法を用いたうえで分析したもので、デスクワークが中心だった人は、退職すると心臓病や肥満、運動不足のリスクが低下していたといいます。

 逆に就労者は、ランニング、水泳、ゴルフといった運動をする機会が少ない傾向が確認され、運動不足が心臓病のリスク増につながっている可能性が指摘されています。

 たしかに、心臓病の予防には運動が重要です。体を動かすと、心臓はより多くの血液を体中に送り出そうとして、普段より活発に働きます。心臓も筋肉でできていますから、適度な負荷がかかることによってある程度は鍛えられます。逆に運動せずに心臓をサボらせている人は、加齢によって筋力が衰えてくると心筋も薄っぺらくなり、ポンプ機能やペースメーカー機能も衰えてきます。

 また、運動によって全身の筋肉量を維持することも心臓を守ることにつながります。一般的に筋力は加齢に伴って衰え、運動不足の場合は全身の筋肉量はますます減っていきます。筋肉は心臓が送り出す血液の受け皿なので、筋肉量が減ると血圧の調節力が低下します。そうなると、重要な働きをしている臓器への血流を確保するために心臓はフル回転を強いられ、負担が増大してしまうのです。

 逆に筋肉量が増えると筋肉の血液量も増えるため、血圧の調節が自律神経も関与してバランスよく行われ、さらにはインスリン抵抗性が改善されたり、善玉のHDLコレステロールが増え、動脈硬化ひいては心臓疾患の予防につながります。

 仕事を辞めると、自宅にいることが増えて日常の運動量が減ってしまうのではないかと考える人もいるでしょう。しかし、今回の調査ではむしろ逆であることがわかりました。近年の日本では、日頃から健康維持のために有償でも効果的と思われる日常の改善に取り組むのが当たり前、という文化になってきています。たとえば、飲める水が水道から供給されているのに、浄水器を設置したり、ペットボトルの水を購入する人が珍しくなくなっているのが最たる例です。運動についても、「退職後は意識して歩いたり体を動かさなければならない」という考え方が根付いてきて、仕事しない時間を運動する時間に置き換える人が増えているのでしょう。

■ストレスの解消や睡眠時間の確保もできる

 運動以外の面から見ても、仕事を辞めても生活の質を維持できるのであれば、退職したほうが心臓病リスクの低下を含め、長寿につながる可能性が高いと考えられます。仕事や人間関係のストレスから解放される人、十分な睡眠時間を確保できるようになる人が増え、健康管理がしやすくなるからです。

 これまで何度もお話ししているように、ストレスは心臓にとって大敵です。ストレスを受けると交感神経が優位になり、神経伝達物質のアドレナリンやストレスホルモンのコルチゾールが大量に分泌されて、心拍数が増加したり血圧が上昇して心臓の負担が増大します。また、血糖値やコレステロールの数値も高くなって、心臓病のリスクをアップさせます。

 良質な睡眠が心臓を守るというお話も取り上げてきました。通常、就寝時は副交感神経が優位になるのですが、睡眠不足になると交感神経が優位の時間が長くなってしまいます。そうなると、先ほど触れたアドレナリンやコルチゾールが増えて心臓病につながるのです。

 退職者は、運動、ストレス、睡眠という心臓病に大きくかかわる因子をプラス方向に改善できるようになるといえます。とはいえ、60歳を越えてからも仕事を続けなければならない、もしくは続けたいという人も少なくないでしょう。そうした人は心臓を守るための働き方や生活を意識することをおすすめします。

 まず、過剰に仕事を引き受けないようにすることです。そのためには、日頃から、余裕をもってこなせる内容の仕事をすれば問題ない環境や、自分がフル回転しなくても周囲が勝手に動いてくれるような環境を整えておくことが重要です。週休2日にプラスして、隔週でもう1日休日を設けるなどの余裕も必要でしょう。そんな働き方を実践できれば、ストレスの軽減と、睡眠時間の確保につながります。

 また、座っている時間をなるべく減らし、体を動かす習慣をつくることも重要です。参考までに「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」では、ウオーキング、速足、水泳、エアロビクス、スロージョギング、サイクリングなどの有酸素運動を、「ややきつい」くらいの強度で、毎日30分あるいは週150分を目標に週3回は実施することが推奨されています。

 仕事を続けていても、「自分を守るための時間」を意識してつくることが心臓病リスクの軽減につながります。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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