医療だけでは幸せになれない

いまだに学校の感染対策に医学研究の成果が考慮されないのはなぜか

医学研究の結果が反映されていないのか(C)PIXTA
医学研究の結果が反映されていないのか(C)PIXTA

 引き続き、学校でのマスクの扱いについて取り上げていきたい。学校での感染対策に関して、文部科学省が2023年5月に「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」を公表している。それによればマスクの取り扱いは以下のように記載されている。

「学校教育活動においては、児童生徒及び教職員に対して、マスクの着用を求めないことが基本となります。ただし、登下校時に通勤ラッシュ時等混雑した電車やバスを利用する場合や、校外学習等において医療機関や高齢者施設等を訪問する場合など、社会一般においてマスクの着用が推奨される場面では、マスクを着用することが推奨されます。また、基礎疾患があるなど様々な事情により、感染不安を抱き、マスクの着用を希望したり、健康上の理由により着用できない児童生徒もいることなどから、そういった者にマスクの着脱を強いることのないようにしてください。児童生徒の間でも着用の有無による差別・偏見等がないよう適切な指導をお願いします。幼児についてはマスクの着用を求めないこととしています。ただし、様々な 事情により着用を希望する幼児に対しては、適切な配慮が必要であることに留意してください」

 大枠は、学校教育活動において児童生徒及び教職員に対して「マスクの着用を求めないことが基本となります」ということである。ここでは、医学研究の結果が反映されていないように思われる。あるいは医学研究の結果はあいまいで、効果がはっきりしていないと判断されたのかもしれない。また、マスクの効果があるとしても、害の方が上回るという判断だったのかもしれない。管轄が文部科学省だということが影響していると思われるが、作成者のメンバーについての記載はなく、厚生労働省や医学関係者が関わったかどうかも不明である。

■学校教育において感染対策に関する医学研究は重要なもの

 少なくとも、この連載で解説した介入前後研究(注1)やコホート研究(注2)で示されたマスク着用の効果については情報提供されている必要があるのではないか。マスクの着用を勧めるにしろ勧めないにしろ、判断に関わる一要素として、これらの研究を学校関係者も知なければいけないのではないか。学校ではまだそのような認識が薄い。そもそも専門家からの医学研究の結果の提供を必要としていないというのが現状だろう。30年以上前の日本の医療界と同じような状態である。

 政府の委員として新型コロナ対策に当たってきた尾身茂氏のインタビューからなる「きしむ政治と科学:コロナ禍、尾身茂氏との対話」で、2020年2月の安倍政権下での学校の一斉休校について、尾身氏は何の相談もなかったと答えている。そこから3年たっても、学校における感染対策に対して医学研究が考慮されていない状況に大きな変化はない。学校教育において、健康と同程度かあるいはそれ以上に考慮すべき問題は多いだろう。しかしその中の1つの要素として、感染対策に関する医学研究は重要なものと同時に必須のものでもある。

 そうした中、EBM(注3)と同様「EBE:Evidence-Based Education」(注4)の動きも徐々に広がりつつある。コロナ感染に対する対応と同時にEBEに対する動きが広がることを期待している。ただその時にまず注意しておきたいことは、エビデンスだけで判断するということにならないように、あくまでエビデンスは多くの判断材料の1つに過ぎないということである。それは本連載の表題である「医療だけでは幸せになれない」ということの一部でもある。

 今後のEBEの動きに注目したい。


(注1)介入前後研究:研究者が治療など、実際に行われる医療行為に新たな医療行為を加え、その効果を検証する研究を介入研究というが、そのうち介入前と介入後を比較するタイプの介入研究を介入前後研究と呼ぶ。歴史的に有名な介入前後研究は、軍艦での訓練の食事において、洋食、麦飯の導入前後での脚気の死亡を比較し、海軍での脚気の予防をもたらした研究である。

(注2)コホート研究:ランダム化比較試験と異なり、治療などの、人為的、能動的介入を行わず、ただその場でおきていることや起きたこと、あるいはこれから起きることを観察する観察研究手法の1つ。一定の集団(この集団をコホートと呼ぶ)を設定し、調査時点で、仮説として考えられる要因を持つ集団(曝露群)と持たない集団(非曝露群)を追跡して、両群の病気のかかる割合または死亡率などを比較する。

(注3)EBM:その時点で手に入る最善の臨床研究と、個々の患者からの情報、患者の意向、価値観を統合し、目の前の患者にその時点での最善の医療を提供しようという行動指針。以下の5つのステップからなる。

1.目の前の患者の問題の定式化
2.情報収集
3.情報の批判的吟味
4.目の前の患者への情報の適用
5.1-4のステップの評価

(注4)EBE:EBMの実践を教育の現場での実践に応用したもの。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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