がんと向き合い生きていく

「がんだったとしても何もしない」…妻にそう宣言した知人から電話があった

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 小さな庭の、細い金網で囲った垣根に、アケビの伸びた枝、葉が絡まって、実が50個ほどなっています。アケビの実は割れ目ができて、皮は青、一部は茶色で、きれいな紫色もあります。実の中は白いゼリー状で、小さな種が無数にあります。このゼリーを口に含むと甘く、種をペッと吐き出します。妻は、この皮を小さく切って、ひき肉とナス、キノコ、味噌などと一緒に油で炒めてくれます。これが、独特の苦みがあっておいしいのです。酒の肴にはもってこいです。

 玄関先にカリンの木が電柱に負けじと大きくなりました。昨年は、2、3個だった実が、今年は30個以上もあります。一つ一つ、リンゴほどの大きな果実は、いつ見ても不思議だと思います。リンゴ、柿、ミカンなどが枝にぶら下がるのとは違って、果実の尻が上を向いているのです。地球の重力に反しているようにも思えてしまいます。実がたくさんできても、そのまま食べられるわけでもないのが残念です。昨年、焼酎でカリン酒をつくりましたが、ほとんど残っています。

 そんなカリンを眺めていたら、親しい知人のAさん(75歳・男性)から電話がかかってきました。お話の概略は次のような感じでした。

 Aさんは高血圧で、ある病院に通院中ですが、1カ月ほど前に一度だけ血痰がありました。そのことを担当医に話すと、すぐに胸部X線写真を撮り、「肺の一部、心臓に重なっているところが以前の写真と比べると影が濃くなっているように見える。がんの可能性があります。2週間後CTを撮ってみましょう」と言われたそうです。

 その言葉に、Aさんは「これはきっとがんだろう」と思ったのでしょう。自宅に帰ったAさんは、奥さんに「もし、がんだったら、自分は何もしない」と言ったそうです。奥さんは「肺がんが進んで、何もしないで過ごすのは苦しいのよ」と答えたといいます。

 それで、私に電話をかけたというわけです。

■1カ月いろいろ考えたのは何だったのか

「どうしたものだろう。CTの結果でさらに検査すると言われると思うが、あなたの意見を聞きたい」

 そんなAさんの相談に、私はこう答えました。

「CTの検査で何もなかったら、それに越したことはないが、何かあれば担当医の指示に従って検査を進めた方がいい。CTは影を見ているだけで、本当にがんかどうかを診る組織の確定診断のために、気管支鏡検査をするかもしれない。もし、がんだとしたら、その組織の結果で治療法は変わる。手術も胸腔鏡だったら小さな傷で済むし……。友人の医師に相談してから、などともたもたしていたら、だんだん年末にもなってくるし、治療が年明けになってしまうかもしれない。検査を遅くするのは良くないと思う」

 Aさんは、「75も過ぎたし……でも、簡単に手術で済めばな。人生はほとんど終わったのだし、どうするかまた考えるよ。うちら夫婦に子供はいないし。CTの結果が出たらまた連絡するよ」と言って、電話を切りました。

 CT検査の当日の夜、Aさんから再び電話がありました。

「おーい。CTでは何もなかったってよ。前にかかった肺炎の影が収束して、濃く見えただけだったって」

 ただAさんは、CT検査の結果を告げられた診察の時に、担当医にこう詰め寄ったといいます。

「何もなかった? でも、先生はがんかもしれないって言ったよね」

 何もなくて良かったはずなのに、不満そうに話すのです。

「がんかもしれないと言われたら、患者はきっとがんだろうと思うじゃないか。この1カ月、いろいろ考えたのは何だったのよ。まったく、あの医者は……」

 私は「良かったじゃない。何もなかった。患者にとって、それが一番。担当医は心配してくれてCTを撮ったのよ」と答えました。それでも、Aさんは不満そうな口ぶりでしたが、何もなかったからこそ漏らせる言葉だと思うのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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