がんと向き合い生きていく

30年前にボリビアで出会った少年はいまどうしているだろうか

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 前回に引き続き、30年ほど前にボリビア外科学会に招待されて出席した時のお話です。

 ボリビアのサンタクルス市を訪れた際、日本から同行した○○先生と私は空軍基地のようなところに連れていかれ、小型の飛行機に乗せられました。前の席が2つ、後ろが2つで4人乗りだと思われたのですが、さらに、後ろの尾翼にかかる少し荷物が置けるような所にも無理やり1人が乗り込みました。

 出発した飛行機は、ある高さになると急降下し、その後に急上昇する動きを何回も繰り返しました。きっと、重量オーバーなのです。落ちそうになった時、川が見えてきました。同乗者が「アマゾン川」だと教えてくれました。

 約40分で広い草原に着きました。そこからジープで砂利道を20分くらい走り、牧場に着きました。そこではなんと、牛が1頭、皮をそがれ、あたかも布団を干しているように吊るされていました。その肉を焼いて食べるようなのです。ビールも用意されていました。

 小屋の前では、牧場で働いている5人ほどが笛などで「コンドルは飛んで行く」の演奏をしています。その演奏を聴きながら、私たちだけが食べて、飲んでいます。用意してくれた方々は、演奏し、私たちを見ているだけで一緒には食べない……なんだかとても気の毒に思いました。

 食事が終わっても、なお、演奏が続いています。その後、今度は的当てのゲームが行われました。遠くの的に当たったかどうかを走って見に行くのは現地の方でした。このようにして、日本から学会に出席したわれわれを歓迎してくれたのでした。

 帰りの飛行機は少し大きく、上下動もなく飛べてサンタクルスへ安心して戻れました。

■われわれが失ってしまったものがたくさん存在する

 夜になると、ボリビア学会の会長さんのお宅で歓迎食事会がありました。集合は夕方5時半ごろでした。20人ほどの方が立ったまま、それぞれウイスキーグラスやワイングラスを手に飲みながら、雑談が始まりました。

 言葉の分からない○○先生と私はアルコールを少し口にしながら、食事が運ばれてくるのを待ちました。ところが、食事はなかなか出てきません。皆さんは立ったまま、長々とおしゃべりをされているのです。

 大きな皿に食事が運ばれてきたのは、とても空腹を感じていた夜10時半ごろになってからでした。料理をいただく列に並び、小さい皿に分けてもらい、それを食べて食事会はお開きになりました。料理には肉やトマトが使われていて、食べたことのない味、とてもおいしい料理でした。

 国によって歓迎の食事会の仕方はこんなに違うものなのだなと思いました。ボリビアでは、昼間は2時間ほど休み時間があるようで、それもあって、夜遅くなるのはあまり気にされないのかもしれないとも思いました。

 朝と昼に、ホテル近くの道で現地の少年に出会いました。ニコッと笑って挨拶してきて、とても人なつこいと感じました。ただ、すぐにものすごいスピードで走って目の前からいなくなってしまいます。牧場でも子供に会いました。とても機敏そうで、もし一緒に走ったら、とてもかなわないと思いました。

 ボリビアで診療されていた小児科医・伊勢泰先生の当時の論文を読み、納得したような気になりました。

「ボリビアの小児にはわが国には日常茶飯事時に見られる立ちくらみ、乗り物酔いなどを主徴とする自律神経のアンバランス(起立性調節障害)をみることはきわめてまれである。つまり、タフなのである。ボリビアにはわれわれが失ってしまっているものがたくさん存在する」

 私がまだ小さい頃、車酔いが特にバスに乗るとひどかったことを思い出しました。旅行は好きでしたが、いつも車酔いが心配で、酔い止めの薬を乗車前に飲んだものでした。それに比べて、ボリビアの少年はタフなのです。

 あれから30年以上がたちました。あの子たちは、そして牧場の皆さんはどうされているだろうか。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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