上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

再手術でリスクになる「心房の拡大」は縫い縮めておけば回避できる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 これまで、高齢者の心臓の再手術における“ハードル”についてお話ししてきましたが、もうひとつ大きなリスクになるのが心臓の「拡大」や「肥大」です。

 そもそも心臓は、「大きい」こと自体がリスクになります。一般的に大人の心臓は左右の握りこぶしを胸の前で合わせた大きさで、右が右心系、左が左心系になります。しかし、心機能が衰えるなどのトラブルがあると、不具合をカバーして全身に血液を送り込む力が必要になり、大きくなっていきます。

 胸郭の幅に対し、心臓の幅が50%以上を占めているケースを「心拡大」といいます。60%を超えてくると息切れなどの症状が顕著になってくることが多く、慢性的な出口の狭窄では心筋への負荷から肥大が起きて、心肥大が拡大へとつながります。一方で、心室機能の低下が起きると血流の停滞から心房圧が上昇して内径が広がり、心房の筋肉も薄くなって心房細動を来すことも多くなります。

 心臓は上下左右にわかれた4つの部屋から構成されていて、上の2つの部屋を「右心房」「左心房」、下の2つの部屋を「右心室」「左心室」と呼びます。

 このうち、上半分の「心房」が大きくなる=心拡大が起こる原因は大きく3つあります。①高血圧、心筋症、僧帽弁狭窄症などにより、心房から心室への血液の流入障害がある場合、②僧帽弁閉鎖不全症などにより心室から心房への逆流がある場合、③心房細動によって不整脈がある場合です。いずれも、心房に負担がかかり、心房の壁が薄くなって大きくなるので、いったん拡大すると元の大きさには戻らないケースが多くみられます。

 一方、下半分の「心室」が大きくなることは「心肥大」と呼びます。こちらは、心室の壁の筋肉が厚くなることで大きくなります。大動脈弁閉鎖不全症や僧帽弁閉鎖不全症などにより逆流が生じて心室へ流れ込む血液の量が増えた場合や、心臓の出口にあたる大動脈弁や心筋の一部が狭窄すると、心拍出量を確保するために左心室の肥大が起こります。また、慢性的な高血圧で起きる心肥大も高血圧が抵抗となるため同様の結果になります。

 心房の壁が薄くなる心拡大とは異なり、心室の壁が厚くなる心肥大は、その原因になっている疾患を治療することで心臓が本来の働きを取り戻し、血液がスムーズに循環するようになれば、徐々に元の大きさに戻るケースが少なくありません。

■心臓が3倍の大きさになるケースも

 高齢者の再手術では、「心房」が大きくなる心拡大が起こっているケースが多くあります。もともと、心臓手術を受けた後は心房細動が起こりやすくなることがわかっています。とくに心臓にメスを入れる手術で切開部位を手荒に縫合しているとそこがヤケドの痕のような状態になり、不整脈の原因になるとみられています。また、初回手術で弁の逆流や血流障害が残るような不十分な処置だと、不整脈や心不全症状が残ってしまう場合があります。

 そういった要因から心房が徐々に大きくなり、再手術が必要になったときは、極端に心拡大が進んでいる患者さんもいます。中には、心臓が通常の3倍くらいまで大きくなっているケースもあるのです。

 心臓が大きくなってしまうと、手術のリスクはアップします。それだけ術野が狭くなり、処置が必要な部分が見えにくくなりますし、処置の際に心臓を持ち上げたり、位置を動かしたりすることがやりづらくなります。患部の手術を始めるまでの過程に時間がかかるうえ、臓器や血管にダメージを与えたり、傷つけて大出血を招く可能性もあるのです。

 こうした心房の拡大は、初回手術の際に対策を講じればある程度は排除することができます。患部の処置を終えた後、心房を縫い縮めておけば、その後の心拡大を防ぐことが可能なのです。先ほどもお話ししたように、いったん大きくなってしまった心房は小さくなりません。ですから、初回手術のときから再手術の可能性を考慮して、心房を前もって縫い縮める処置を行うことがリスクの回避につながります。

 実際、私が初回手術を行う際は、再手術が必要になったときに担当する外科医がやりやすくなるように、心房を縫い縮めておきます。ただ、ほとんどの医療機関では、初回手術時に再手術を意識した処置は行われていないのが現状です。心房縫縮は大きなリスクもなく、それほど手間もかかりません。初回手術の際にほんの少しだけ手順をプラスするだけで、再手術のリスクを大きく軽減できるのですから、もっと一般的な処置として広まってくれることを期待します。

 この心房縫縮の延長線上にあるのが、以前から私が行っている「左心耳」に対する処置です。心臓手術後に起こる心原性脳梗塞を予防します。先ほども触れましたが、心臓手術の後は心房細動を起こしやすくなります。心臓が細かく不規則に収縮を繰り返すため、心臓内の血流が悪くなって血栓ができやすくなります。その血栓が移動して脳の血管で詰まると、脳梗塞が起こるのです。

 それを防ぐのが左心耳への処置になります。心臓手術に付随して、左心房の上部にある左心耳という袋状に突起した部分を切り取って縫合する「左心耳切除術」や、糸で縫い縮める「左心耳縫縮術」を行っておけば、抗凝固薬を服用するよりも40%以上有利に脳梗塞を予防することがわかっています。

 高齢者の再手術を多く手掛けるようになってから、初回手術の際に再手術まで考慮した処置を行うことの重要性をあらためて実感しています。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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