がんと向き合い生きていく

戦争、病気、災害…年が明けてあらためて考えさせられた

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 ロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナ、毎日、戦争の報道が続いています。現地の人たち、子供たちはかわいそうです。国境なき医師団も悲惨な現状を訴えています。

 新聞記事の切り抜きを整理していたら、少し前になりますが、俳優の故・菅原文太さんがこんなことを話されていました。

「政治の役割は2つあります。1つは国民を飢えさせないこと。……もう1つは、これはもっとも大事です。絶対に戦争をしないこと」

 菅原文太さんが主演された映画を見たことはありませんでしたが、以前、福井からの列車の中でかっこいいお姿を拝見したことがありました。彼は東日本大震災のあと、戦争反対を積極的に発言していました。

 昨年亡くなった大江健三郎さん、坂本龍一さん、世界に誇る彼らも、戦争反対を叫んでいたと思います。戦後ずっと、戦争経験者は「絶対に戦争をしてはいけない」と訴えてきました。日本国憲法には「戦争放棄」が記載されています。

 昨年の8月、自民党副総裁の麻生太郎さんが台湾を訪れた際、「日本や台湾は『戦う覚悟』を持つことが抑止力になる」と語ったようです。

 いろいろな考え方があると思いますが、戦争はどうしても止めなければなりません。報道関係者は、戦地で、毎日、命がけで戦争の現状を伝えます。世界における日本の役割として、政府は戦争を止めるようにもっと動いていただきたいと思います。テレビで戦争の惨状を見ていて、現地の方々はとても気の毒に思います。

 日本にいて、日本の自由さを感じます。やろうと思えば大抵のことができるのも日本です。文化庁長官の都倉俊一さんは「日本に生まれてよかった」を作詞・作曲しました。日本の四季の美しさと人の優しさを歌っていると思います。「この国に生まれてよかった」という村下孝蔵さんの歌も、やはり日本の美しさを歌っています。

 日本に生まれてよかったとの言葉とは真逆に、「この国に生まれたるの不幸」という言葉がありました。都立松沢病院の玄関に刻まれている、100年前の呉秀三院長の言葉です。

「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

 当時の日本は、精神病者監護法で精神病者を私宅監視、つまり、家族が座敷牢で監視することを認めていたのです。これは1950年に精神衛生法でなくなったのですが、日本の悲しい過去です。

 また、ハンセン病においては、感染力がきわめて弱い菌なのに、診断されると強制収容されて、そのまま一生を過ごした方がたくさんおられます。現在、国内のハンセン病の療養施設は13カ所あり、約800人の患者さんがおられるようです。私は、東村山市の多磨全生園、青森市の松丘保養園を訪問したことがあります。

■被災地を応援したい

 ネットで見ると、日本人の「幸福度ランキング」は低いようで、G7の中では最下位とのデータもあるようです。日本人は「我慢する」「人に迷惑をかけないのが美徳」「肩書が大切」「人目を気にする」などの言葉が目につきます。

 新しい年になって、1月1日、能登半島地震が起きました。200人以上の方が亡くなり、自宅に帰れない方がたくさんおられます。亡くなった方にはご冥福を祈るしかありません。

 被災された方々は、寒い中、体育館などで暮らすのは、トイレなど、とても、とても大変だと思います。体も心も早く元気になられますように、みんなでそれぞれにできることで協力したいと思います。

 地震国日本ですが、阪神・淡路大震災、東日本大震災などの教訓を生かして、みんなで応援したいと思います。被災された能登半島の皆さま、福井県、新潟県の皆さま、どうかがんばってください! 応援しています!

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事