独白 愉快な“病人”たち

映画監督の河村光彦さん「脳梗塞」で救急搬送の一部始終を振り返る

河村光彦さん
河村光彦さん(C)日刊ゲンダイ
河村光彦さん(映画監督/62歳)=脳梗塞

 じつはつい先日、転んで肋骨を折りまして、今はコルセット状態。いや、でも今日は喜んでやってきました(笑)。

 脳梗塞が起きたのは11カ月前、忘れもしない4月13日。夕方から代官山で私が監督した映画「Life work of Akira Kurosawa」の初の上映会とトークショーが始まる直前でした。

 都心から少し外れた町に住む私は、午前中から家を出て、見たかった大島渚監督と黒沢明監督の対談映画を観賞後、小走りで代官山に向かいました。その途中、空腹を紛らわすために駅の売店で甘い系のサンドイッチとコーラを買って、勢いよく流し込みました。あとから思うと、どうやらそれが引き金になったみたいです。

 代官山のイベント会場に着いて、靴を脱ぐ際になぜか右の靴がなかなか脱げません。打ち合わせが始まると、言いたいことが言えずに「ウー、ウーン」となってしまいました。若いスタッフに「河村さん、ろれつが回ってないですよ」と指摘されたので、「そんなことないよ」と言おうとした言葉がまた「ウーウー」となって、「救急車を呼びましょう」となりました。「いやいや、そんなの恥ずかしいから」と言いたいのにそれも言えません。なにより上映会とトークショーを楽しみに来るお客さんにも申し訳ないじゃないですか。

 その後、「とりあえず水を飲んでください」と差し出されたコップを倒してしまい、スタッフがイベント主催の社長に電話して、私の様子とともに救急車を呼んでいいかを確認していました。

「以前、こういう状態の人を見たことがある」という彼の話から、ついに救急車が呼ばれてしまい、内心「なんでもないのに救急車なんて呼びやがって」と思いました。でも、今思えば彼のおかげで後遺症なく脳梗塞を乗り越えられたことは確かです。

 じつはその日は朝からいくつかの違和感がありました。まず、家を出るときに右足の靴が履きにくかったこと。さらに鍵穴に鍵がなかなか入らなかったこと、電車の座席の背もたれに硬い芯があるような感覚があったこと、手すりをうまくつかめなかったことなどなどです。「今日は変な日だな」と思ってはいましたが、まさか脳梗塞だとは考えもしませんでした。

 検査の結果、血糖値が400(㎎/デシリットル)もあり、医師に「糖尿病由来の脳梗塞です」と告げられました。3日間はトイレにも立たせてもらえない絶対安静状態。でもその後は普通に歩くことができ、読み書きや会話のテストも問題なく、10日間で退院し、奇跡の“後遺症ゼロ”でした。

 6月からは自宅近くの病院に入院して、食事のたびにインスリンを打って血糖値を100以下に安定させることに成功し、今は問題ありません。

河村光彦さん
河村光彦さん(C)日刊ゲンダイ
4月13日は私にとって運の悪い日

 でも、よりによって上映初日にそんなことになるとは「神様どうなってんの?」と思いましたよ。思えば4月13日は私にとって運の悪い日なんです。20歳で大失恋をしたのも4月13日でした。彼女が「運転のできる人がいい」というので合宿して免許を取ったのに、「もう会いたくない」って……。あまりのショックに「これでもまだ君は彼女が好きか?」という8ミリ映画を作りました。

 ただ、それを見た映画好きの先輩から声がかかって、黒沢映画「乱」のメーキング取材班として参加することができたのです。もちろんノーギャラ。でも、私は黒沢監督に憧れていたのでうれしくてうれしくて、夢のような1年間を過ごしました。

 その150時間にも及ぶビデオテープは大人たちに取り上げられ、紆余曲折あって何十年後かにやっと取り戻したんです。ただ画質が悪く、作品にするならデジタル化が必須。なのに予算のない私は「いつかきっと」と思いながらずっと押し入れで眠らせていました。

 それが一変したのは2020年2月でした。「胃がん」から「悪性リンパ腫」が発覚したのです。1カ月の入院と半年間の抗がん剤治療をして、今は経過観察中ですが、死ぬかもしれないと思ったときに夢を見たんです。黒沢監督が「河村君、あのビデオの価値を本当にわかっているのか?」と言うんですよ。それで一念発起して借金をして、ビデオをデジタル化して作ったのが「Life work of──」です。

 抗がん剤治療で免疫力が低下する中、コロナ感染の恐怖にさらされながら、字幕を付けるなど地道な編集作業を進め、40年の時を超えてやっと上映となったら、今度は脳梗塞。編集作業の中で毎日1つアンパンを食べていたのが悪かったのかな。劇場に作品を売り込むだけのために株式会社を立ち上げたり、いろいろなものを犠牲にした挙げ句、あれで私が死んでいたら、あの映像はお蔵入りだったでしょう。

 でも、20歳の4月13日の大失恋からはじまり、脳梗塞になった4月13日までの奇跡のストーリーは、今となってはこうした取材やトークショーのネタになっていますから「まぁいいか」と思っていますけどね(笑)。

(聞き手=松永詠美子)

▽河村光彦(かわむら・みつひこ) 1961年、愛媛県出身。84年、大学在学中に黒沢明監督の映画「乱」のメーキング取材班として1年間を過ごし、卒業後に上京。その後、テレビ、映画製作に従事。当時の記録ビデオをまとめたドキュメンタリー映画「Life work of Akira Kurosawa 黒澤明のライフワーク」を各地で上映。直近は4月28日、「高円寺シアターバッカス」で上映予定。DVDもAmazonで発売中。

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