がんと向き合い生きていく

「最期まで治療したい」という患者の気持ちは人間として当然のこと

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 消化器がんを専門とするA医師の母親(79歳)は肺がんで、2年ほど闘病を続けていました。しかし、次第に厳しい状況になって入退院を繰り返し、今回は呼吸困難が起こって外科病棟に入院することになりました。

 外科病棟は、ひっきりなしに手術や緊急入院の患者が訪れるので慌ただしい毎日です。A医師は「母をもう少し落ち着いた病棟で過ごさせたい」と思い緩和病棟への移動を申し込んでいました。

 母親には少しずつ緩和病棟の話をしていたので、A医師は「本人は納得してくれている」と思っていました。

 ところが、ようやくベッドが空いて緩和病棟に移る前日になって、母親からこう尋ねられたのです。

「あなたには聞きづらかったのだけど、いま飲んでいるがんの薬は緩和病棟に行ってもこのまま飲んでいていいんだよね?」

 A医師は愕然としました。緩和病棟入床の規定には、「がんに対する治療は行わない」とあります。A医師は母親に代わってこれに了解していたのです。そして、母親には「もう薬が効かなくなってきている」とは言いだせませんでした。

 A医師は「母はこの期に及んでもがんに対する薬を飲み続け、希望を持っていたいのだ」と痛感し、とっさに「いったん薬をやめて、体調が良くなったらまた始めるから……」と口にしました。母親から「あなたの言う通りにするわ」とあっさり返事がきて、その時はホッとしたといいます。

 結局、母親は再度その薬を飲むこともなく、緩和病棟に移って2週間後に亡くなりました。A医師は、「母が亡くなってからも、薬を中止したことがずっと気になっている」と私に教えてくれました。

■ほとんどのホスピスはがん治療は行わない

 ホスピスに長年勤められた医師の柏木哲夫氏は、論文(Oncology Epoch17:34―35 Autumn 2011)の中でこう書かれています。

「最近では、効果が高く副作用も少ない分子標的治療薬が出てきたことから、末期でも、緩和ケアと並行しながら化学療法を続ける患者さんが増えています。治療を受けながら、死への心の準備ができないままに、ご家族との別れを惜しむ間もなく最期を迎える患者さんが増えているように感じます。こうした状況は、抗がん剤の副作用に代わって新たに生じた副作用のように思えてなりません。日本の医療に『死の準備』という概念を持ち込むのは容易なことではありませんが、良いみとりへとうまく移行できる方法論を考える必要が生じてきているように思うのです」

 しかしながら、多くの患者はたとえホスピスに入っても、「生きたいという心」と「死の準備をすること」の間で揺れていて、いつもその葛藤の中にいるのだと思うのです。「死を覚悟しながらも、希望を持っていたい」のは人間として当然のことだと思います。

 30年ほど前、日本で最初のホスピスを創設した原義雄氏は、その際にこう書かれています。

「家族にとり、本人にとり、少しでも長く愛する患者と共に生き続けることは、大きな喜びであるから……効果の期待できる治療は、たとえホスピスといえども試みるべきである。治る見込みがなく、将来、社会の戦力にならない者を生かし続けて何のメリットがあるか、無駄な努力ではないかという叱責もわかる。しかし、そうした意見は、医の倫理にもとる(反する)。欧米のホスピスでは、そうした努力を早くから放棄した。わたしは日本では、その真似はしたくないと痛感した」

 しかし、いまは原先生が書かれたように“緩和病棟でがんの治療をする”なんて非常識だと言われそうです。もちろん、私は最後まで治療をすべきだと言っているのではないのですが、時代は変わりました。ただ、それでも本人の「生きたい」気持ち、息子が母を思う気持ちは変わらないと思います。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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