がんと向き合い生きていく

費用対効果をもってして「命の値段」をつけることができるのか

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 ある病院でがん治療医たちが集まり、入院患者の報告カンファレンスを行った時に持ち上がった話です。

 73歳の肺がん患者(男性)の治療に免疫チェックポイント阻害薬を使っていて、1カ月経ったところで急に薬による副作用と思われる肺線維症が起こりました。この患者さんのがんには最良の方法と考えてこの治療法を選んだのですが、大変な副作用が出てしまったことに医師は皆つらい気持ちでした。

 ステロイド大量投与などの治療で対応していましたが、まだ好転の兆しはありません。このままでは最悪の結果も心配されます。副作用を予想できてはいても、実際にこれほど厳しい副作用が出るのかという思い。副作用対策を今後どのようにしていくのか。これからこの治療法を選ぶ患者の基準は今のままでいいのか。副作用を起こさないために何か対策はあるのか。副作用を早く知るための方法……。カンファレンスでは、たくさんの議論が行われました。

 さらに、その免疫チェックポイント阻害薬は、年間1700万円もかかる薬(高額療養費制度の利用で、70歳以上75歳未満の一般所得者の自己負担額は月5万円程度)です。

「薬代が高いとか安いとかよりも、目の前の患者に最良の治療を提供するのが医師である」という意見もあります。その考え方だけでは国民皆保険制度が崩壊する恐れもあります。そうなれば、これまでのような治療の提供ができなくなってしまいます。

 もし、その高額薬を使い続けることで1年長生きできたとして、それは高いのか、安いのか。いってみれば“命の値段”をつけるということです。しかし、当たり前の話ですが、それは容易には判断が難しい問題です。

 多くの国で「増分費用効果」という言葉が使われています。かけた費用に対して、どれくらい効果があったのか。2つの薬があった時、それを比較するのに、費用対効果の点から検討されることがあるのです。1年長生きするのにどれだけの費用がかかり、それに見合った効果が得られたかどうか。しかし、それをどう評価するというのでしょう?

 もし、1年長生きできたとして、それを評価するのは難しい。

 それならば、その患者がその1年をどう生きたか、1年間の生活の質はどうだったのかを問う考えもあります。これは「質調整生存年」といって、寝たきりの1年だったか、健康的に生活できた1年だったか。これを数値として出して、他と比較しようという考えです。ただ、そんな数値を出したところで、寝たきりだとしても良かったと思う患者さんもいれば、他人から見て健康的な生活に見えたとしても、本人の心は地獄の1年だったかもしれません。それなのに、他と比較するためになんでも数値化しようというのです。

 新薬を承認する指標に費用対効果という数値を使って、みんなを納得させようとする。1年長生きできた、その薬剤の金額はいくらか? いくら以下なら国として承認できるか? ある国では年500万円ともいわれますが、「救う命と救わない命を金額で線引きするのか」という疑問も出てきます。

 数値化すれば、多くの人は納得できるのかもしれません。多くの人が納得できる、それが科学だといいます。そして、医学は科学だというのです。確かに、医学は科学です。しかし、「医療」は医学よりももっと広い範囲を指すのではないでしょうか。科学が人間のすべてではないのです。特に精神的なものを数値化することは非常に難しいといえます。

 人は生き、死ぬものです。その中で、科学では説明できない「心の動き」などがたくさん存在します。歴史を振り返ってみると、人類は長い間、「科学なし」で生きてきました。そんな足跡もあるのです。

 そんなことを考えていると、先月、入水自殺が報じられた評論家の西部邁氏が次のように話されていたと聞きました。

「資本主義は、何もかもを商品にして費用対効果に還元する。そんな下品な世の中は住むに値しない」

 自ら命を絶つことが正しいことだとは思いません。

 ただ、費用対効果の名のもとに命の値段をつけることなど、誰にもできない。そう思います。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事