がんと向き合い生きていく

「少ない資源の有効活用」が必要だと退院を勧められた

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 先日、高校時代の同級生であるY君と久しぶりに食事をする機会がありました。

 Y君は進行肺がんで、骨に転移があり、緩和ケア病棟に入院して放射線治療を受けました。治療が一段落して退院したタイミングで食事をすることになったのです。

 Y君は少しお酒を口にしながら「自分の命はもう長くない」と漏らし、「変な話なんだけど……」と前置きして、こんな話を始めました。

「自分は小さい頃から人の目を気にして、人の顔色ばかりうかがって生きてきた気がする。学生の頃は同級生から、会社に入ってからは上司に『要領が悪い』と言われ続けた。まあ、自分でもそう思ったけど、こればっかりはどうしようもない。ただ、自分の人生の最期は、もう人の目なんか気にしないで、生まれつきの要領の悪さも隠すことなく、重い鎧を脱いで、効率なんて忘れて、わがまま言って生きようと思っていたんだ。でも、ここにきて、会社から言われ続けた『少ない資源の有効活用』を思い出しちゃったよ」

 Y君は40歳を過ぎてからは労務管理担当を任され、組合対策や“人減らし”を仕事にしてきました。職場の部屋の壁には「少ない資源の有効活用」と大きな文字で書かれた標語が貼られていて、Y君は毎日それを見ながらいかに効率を上げるかを考えて仕事を続けてきたといいます。上司からも、耳にタコができるほど「効率性優先」と「資源の有効活用」を言い聞かされていたそうです。

 50歳を越えた頃からは、今度は自分が後輩に「少ない資源の有効活用」を説き、いつも頭の中にある営業の目標数値を気にして生きてきました。

 65歳になって定年を迎えた時は、会社の経営状態が悪く、退職金は思ったよりも少なかったそうです。

 そのかわり、会社からは「給料は減るが嘱託として75歳まで働いていい」と言われました。Y君は「75歳まで? じゃあ、人生ずっと働き続けじゃないか……」と思ったといいますが、住宅ローンは終わったとはいえ食べていくためにはまだまだ働かなければいけません。そのまま働くことを選びました。

■終末期でも「効率」が優先される

 そんなY君に進行肺がんが発覚し、背中にひどい痛みがあったことで緩和ケア病棟に入院しました。治療の効果もあって痛みが少し和らぐと、Y君は担当医からこう勧められたといいます。

「痛みが薄らいだようですから、退院してください」

 Y君としては、もう少し入院したまま様子を見たかったそうです。しかし、担当医からさらにこう告げられました。

「自宅で様子を見ましょう。この緩和病棟は、たくさんの患者さんに利用していただかなくてはなりません。『少ない資源の有効活用』が必要なのです」

 これまでの長い会社員生活で自分の頭にこびりついている「少ない資源の有効活用」という言葉を、まさか緩和ケアの担当医から聞かされるとは……。Y君は驚いたといいます。

「ホスピスは希望する患者の数に比べてベッド数が少ないから、『少ない資源』と表現したんだろう。それにしても、少し良くなれば早く家に帰ってくれと言われちゃうんだな。どの程度の痛みが残っているのかは、本人じゃないと分からないから、一瞬、『まだ痛い』と言おうかと思ったよ。結局、病院に迷惑をかけられないから退院したけど、緩和ケアの世界まで、死が近い患者を相手にしても効率、効率なのかね……」

 いまの日本の医療は、終末期の患者に対しても“優しさ”が足りなくなってきているのでしょうか。かつて日本は、経済的に決して豊かとはいえない時代もありましたが、終末期の患者に向かって担当医が「資源の有効活用」なんて言葉を使うことはありませんでした。死の直前でも、患者と担当医の間には、惜しみ惜しまれながら互いに「もののあわれ」を感じとる心があったと思うのです。

 Y君は「でも痛みはなくなったし、医学の進歩はありがたい。感謝しているよ」と言いながら、こう続けました。

「そのおかげで、もう少しで今年も桜を見ることができそうだ。わが家のそばに桜の古木があってさあ、芽が膨らんできたんだよ。電線にかかっていた枝が太い所から切られてしまったんだけど、大木だから、満開になったら息もつけないほど花が空を覆うんだ」

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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