独白 愉快な“病人”たち

一色伸幸さん うつ病は「心のかぜ」ではなく「心のがん」

一色伸幸さん
一色伸幸さん(C)日刊ゲンダイ

 ボクが2007年に「うつから帰って参りました」というエッセーを上梓したのは、うつの患者本人より、その家族や友人や周りで関わる人たちにうつの人の内面をわかってほしいと思ったからです。病人を支える家族は「第2の患者」と言われるほど大変です。それなのに、誰からもいたわられない。うつの人の心の中が具体的にどうなっているのか、少しでも知ることができたら何かのお役に立つのではないかと……。そのエッセーをさらに見やすく漫画にしたのが近著「さよなら、うつ。」です。

 うつの正体は、実際のところわかりません。でもひとつだけ言えるのは、「気の持ちようなどではない」ということ。個人的には「心のかぜ」ではなく、「心のがん」だと思ってます。がんと同じ「病気」です。がんなら1~2年闘病することを誰もためらわないでしょう。でも、うつだとなかなかそうはいかない。わかってほしいのは、治療しないと死を選んでしまうこともあるし、治りきらないまま仕事に復帰すると再発を繰り返す可能性があるということです。

 ボクは幸い、丸2年間、すべての仕事を休んで療養に専念できました。そのおかげで復帰から20年以上経ちますが、とても元気です。

 うつ病になったのは、2人目の子供が生まれ、脚本家として切れ目なく仕事をしていた30代前半です。自分で言うのもなんですが、わりと生真面目なタイプで、書き始めると昼夜を問わず仕事にのめり込んでしまう生活でした。そしてなぜか“死”や“無になる”という思いにとらわれ始めてしまったんです。

 映画やドラマがヒットしても、大きな賞を受賞しても手放しでは喜べず「もっとできたはずだ」と自分を追い込んでいました。眠れなくなり、睡眠導入剤を常用するようになりました。ボクはお酒を飲まないのですが、サラリーマンが仕事帰りに一杯やるくらいの気持ち良さがその薬にはあったのです。気づけば1日何十錠も飲んでいました。

 そのうちに何も書けなくなり、階段から転げ落ちたり、家のコンセントカバーを全部外したり、家の廊下で見えない人に道を譲ったり、意味不明なことをするようになっていたようです。

 見かねた妻に引っ張られて精神科医の元へ行ったのは34歳のときです。母親の同級生のご主人で、子供の頃からよく遊びに行っていた病院でした。幼い頃のボクを知る顔見知りの先生だったことが治療にもいい影響を与えたと思います。

 じっくりとしたカウンセリングで「うつ病」と診断された後は、4~5種類の薬を使い、組み合わせや割合を変えて2~3週間ずつ試していきました。自分に合う組み合わせになったのは半年後ぐらい。昼間の眠気が減り、夜眠れるようになったんです。

■生きていることが退屈な映画そのもの

 一番うつがひどいときは、布団から出られませんでした。なんのやる気も起きません。幼いわが子が話しかけてくれても何も感じないんです。

 うつは、脳と心をつなぐ糸が切れてしまった状態だと思います。たとえばジョークが笑えるのは、「こんな発想で、こんなゴロ合わせで今この人は笑いをつくった」と脳が理解して、それが心につながって、「面白い!」と感じるからです。でも、糸が切れていると脳で理解したものが心まで届かない。食事をしても、出汁の風味や鮮度の良さは十分わかるのに、それが「おいしい!」につながらない。とてもキレイな女性が耳元で色っぽい言葉をささやいても、ウキウキもムラムラも起きないのです。

 うつの最中は、うれしいとか楽しいとか、悲しいとか憎たらしいとか、そういった“心の揺らぎ”がひとつも起こりません。

 想像してみてください。心がまったく動かない退屈な映画を。うつ病の患者にとっては、生きていることが退屈な映画そのものなのです。景色や音楽、ストーリーやセリフに感動も驚きもない。そんな映画を延々と見させられたら、映画館を出て行きたいと思いませんか? それがつまりうつの「希死念慮(死にたい気持ち)」です。決して自殺願望ではなく「その映画館を出たい」だけなんです。

 ボクは2年間寝ていました。その選択は正しかったと思います。脳と心をつなぐ糸を修復する一番の薬は「時間」なんじゃないかな。今でも気分が沈むことはありますが、そんな日は仕事をやめちゃう(笑い)。少し無責任になって休めば治るからです。そうでなくても、夕方4時には仕事を切り上げて近所を走ったりします。心掛けているのは気持ちの切り替え。でも、決め事はなるべくつくりません。気分転換が義務になったら本末転倒ですから。

▽いっしき・のぶゆき 1960年、東京都生まれ。1982年に脚本家デビューし、87年の映画「私をスキーに連れてって」で一躍脚光を浴びる。映画「僕らはみんな生きている」「病院へ行こう」で日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞。うつ病療養から復帰後も精力的に作品を書き続け、2013年には東日本大震災後の女川を舞台にしたNHKドラマ「ラジオ」で数々の賞を受賞。近年は小説も次々と出版している。

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