独白 愉快な“病人”たち

脳性麻痺の寺田ユースケさんが語る 挫折と感動そして挑戦

車イスはボクにとって「魔法のアイテム」
車イスはボクにとって「魔法のアイテム」(C)日刊ゲンダイ

「この夫婦の息子なら、運動神経は抜群に違いない」

 ボクが生まれたときは、そう言われたそうです。そのくらい両親が共にスポーツ万能だから。でも、こんな病気を持っていたものだから、両親の落胆ぶりはすごかったみたいです。父親なんか日課の晩酌をやめちゃったくらい、ショックだったようですよ(笑い)。

「脳性麻痺」と診断されたのは2歳のとき。歩き始めたら、踵が浮いたまま内股でつま先を引きずるような歩き方をするので、母親が病院に連れて行き発覚しました。

 病名を詳しく言うと、「脳性麻痺による歩行困難な体幹機能障害」になります。脳から筋肉への神経伝達が正常にできず、ボクの場合は首から下が動かしづらい状態です。それでも両親がめちゃめちゃ懸命にリハビリをしてくれたおかげで、手の障害はほとんどありません。20歳まで車イスでもありませんでした。

 懸命なリハビリといっても幼児期は遊びの延長のような感じで、シールを貼ったり剥がしたりする遊びを思う存分できる部屋をつくってくれたり仮面ライダーのカードを家中に隠して、それを探し回る宝探しなどです。好きな遊びが自然と指先や歩行のリハビリになりました。そのうち、家の中にジャングルジムやトランポリンが置かれ、小学生になると遊びはもっぱら野外になりました。

 小4からは野球を始めました。意外ですよね? これが、自分で言うのもなんですが、両親の血なのか運動神経が良くて(笑い)。「寺田は足がよかったら化け物だ」と監督が言うくらい投げたり打ったりは人並み以上にできたんです。ただ、走れない。だから、どんなに頑張ってもレギュラーにはなれませんでした。

■初めて踵を着いて歩いたときの感動は忘れられない

 つらかったことを挙げたらいろいろあるんですけど、一番は高校3年で受けたアキレス腱延長術です。脳性麻痺の人がよくやるもので、踵を着いて歩けるようにするための手術です。「もう一度、野球をやるんだ」という思いと、大学進学やその先の将来を考えての決断でした。

 入院は4カ月に及び、そのうちの1カ月半は寝たきりでした。しかも、その間はあおむけで、足を“大の字”に開いたままで、自由は一切なし。寝返りもできないので褥瘡(床ずれ)はできるし、トイレも看護師さんの手を借りるしかありません。思春期の男子にはキツイ(笑い)。痛みもすごいし、今でもあれは“拷問”だと思うくらいの地獄の日々でした。

 それが過ぎると、退院まで1日12時間のリハビリをやりました。大変でしたが、人生で初めて踵を着いて歩いたときの感動は忘れられません。それまで30メートル歩くだけで息が上がっていたのに、ゆっくりなら1~2キロも歩けるくらいになりました。

 最大の挫折は大学1年のときです。一人暮らしを始め、やる気満々で強豪の障害者野球チームにも入って「俺はここで活躍するんだ」と思っていたのに、やっぱり走れないからレギュラーになれないと知り、完全に挫折しました。掃除も洗濯も食事も困難で、部屋はゴミ屋敷と化し、恋愛もうまくいかず、麻雀とパチスロにはまって荒れた時期もありました。

 それを救ってくれたのは車イスです。それまでは「車イスに乗ったら負けだ」と拒否していましたが、いざ乗ってみたら「あれ?」と思うほど快適で、一気に行動範囲が広がりました。ボクにとっては魔法のアイテム。「かぼちゃの馬車」と呼んでいます。

 それからのボクは、いろいろなことに挑戦しました。お笑い芸人、車イスホスト、「車イス押してくれませんか?」を合言葉に出会った人に車イスを押してもらいながらゆくヒッチハイクの旅……。そして今は、去年出会って結婚した妻と一緒に「寺田家TV」というユーチューブの動画を毎日つくっています。

 といっても、パソコンの技術的なことやプロデュースなどは、奥さん任せです(笑い)。いつもありがとう。ボクは画面の中で一生懸命に楽しんで、視聴者さんに笑顔を届けるのが役割です。障害のある子が「寺田よりはボクのほうができるぞ」と思って、一歩を踏み出せるようになってもらえたら幸せです。

 病気から学んだことは「奥さんファーストで生きよう」ということ。支えてくれる人がいるから表舞台に出られるということに、奥さんと出会って気づいたんです。

 以前は自己中心的で、取材を受けたときは「障害者のために」なんてカッコいいことを言っていました。でも、本当は「有名になればこんなボクでも結婚できるんじゃないか」という下心が原動力でした。結婚して初めて自分の本音に気がつきました。その程度の器の小さな人間なんです。

 ただ、そんな下心が満たされた今、改めて純粋に「子供たちが笑ってくれたらうれしい」と願って活動中です。よかったら「寺田家TV」、見てください(笑い)。

 =聞き手・松永詠美子

▽てらだ・ゆーすけ 1990年、愛知県生まれ。生まれつきの脳性麻痺で20歳から車イスに乗り始める。大学在学中に単身留学した英国のお笑いに影響され、帰国後にお笑い芸人を目指すが挫折。著書「車イスホスト。」(双葉社)では、歌舞伎町でのホスト経験などをつづっている。現在は、「車イス押してくれませんか?」を合言葉に、日本全国を旅して、昨年結婚した妻とともに制作するユーチューブ「寺田家TV」を毎日更新中。

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