2012年の夏も今年のように暑い夏で、病状が進行していた佳江さんは、東京・北区の十条にある義母の実家で過ごすことが多かった。
いよいよお別れは近づいている。しかし、小宮さんは妻の前で泣くことだけは戒めていた。
「佳江も自分の病気のことでは泣きませんでした。僕が彼女を理解してあげられなくて、ほったらかしにしたことがあったり、気持ちを逆なでしてしまったり、傷つけるようなこともあった。さすがに誕生日に菊の花の交じった花束を買ったときは大泣きされましたが、彼女は常に他人のことを考えるような人だった。義母との旅行でも、自分が率先して計画を立てていました。とはいえ、どんなに準備万端でも、旅先では何が起こるか分からず、計画通りに進まないこともあります。せっかく計画していたのに台無しになった、という悔し涙はありました。また、評判の展覧会があって、僕も興味があり、『一緒に見に行こうよ』と約束したのにもかかわらず、数日経ってから『ごめん、やっぱり行けないわ』と断ってしまった際は、『できない約束はして欲しくない』と目に涙をためられたこともありました」
佳江さんは終の棲家である杉並のマンションで過ごしていた。在宅死を希望した彼女のために在宅医療の先生に往診を頼んでいた。
彼女の命が燃えつきようとしていた数日前、小宮さんは往診の医師に「この2、3日で」と最期の日が近いことを告げられたという。
「在宅医療の先生の大事な話の前だったのか後だったのか、今の私にははっきりしないのですが、その頃、彼女は介護ベッドに寝たままになっていて、私は自分の寝具を妻の横に移動してフローリングの床に敷き、いつでも対応できるように添い寝していました」
記憶では、明け方近くだったという。決して泣かないと思っていた小宮さんが、その日だけはミスを犯す。
「夢の中で泣いていて、実際に起きてみると泣いていることが私にはよくあります。その日も鼻をすすっていて、目を覚ました佳江にバレてしまった。『どうしたの?』という顔でこちらをのぞいていたので、『ごめん、佳江ちゃんがいなくなるのかと思ったら泣いちゃってたんだ』と答えました。ただ、その時、彼女は『いいよ、……うれしいよ』と、笑顔で私を見ていました」
2012年10月31日、18時36分――。佳江さんは夫の小宮孝泰と実母に見守られて目を閉じた。
(つづく)
がん発症の妻にしてあげた10のこと