独白 愉快な“病人”たち

兼元謙任さんが振り返る ギラン・バレー症候群の壮絶治療

兼元謙任さん
兼元謙任さん(C)日刊ゲンダイ

 中学の3年間はほぼ病院で過ごしました。治療はとんでもなく過酷でした。あまりにつらかったので、ボクは「新薬を試すモルモットにされた」と思い込み、ずっと担当の女性医師を恨んでいました。本当につい最近までそうでした(笑い)。

 でも直近の仕事で医師の方々と携わることになり、当時の経験を話したら「恨むなんてとんでもない。むしろ当時それができたのはすごい勇気。感謝した方がいい」と言われました。

 病気の始まりは小学5年生のときからのイジメだと思います。自分が韓国籍(現在は日本籍)だと両親から聞かされたのもその頃なのですが、その事実がどういうわけかクラスに広まってしまい、壮絶なイジメを受けました。

 それが精神的な病の始まりで、対人恐怖症になりました。“動いたら殺される”と思ってしまうのです。

 バスにも乗れなくなりました。その頃、考えていたことの大半は両親や差別意識に対する怒りです。祖父母が韓国から日本に来て、両親も国籍のことでは苦労したはずなのに「何でボクを産んだんだ!」と……。

 イジメがエスカレートしていく中で怒りから諦めになり、免疫力がどんどん落ちていきました。もともと未熟児で生まれたため、体が弱く、熱が出やすかった上、あちこちおかしくなってきて、中学に入学する頃には体が動かなくなってしまいました。

 病院を受診すると、担当の女性医師から「ギラン・バレーかもしれない」と言われ、入院することになりました。ギラン・バレー症候群は末梢神経に障害が起こる自己免疫疾患で、重症化すると呼吸が止まることもある難病です。

 その女性医師は腰椎穿刺という検査を何度もしました。背中から針を刺して脳脊髄を採取するので、ものすごく痛いんです。当時は筋電図もなかったので、腕に針を刺された状態で「動かせ」と言われたりもしました。それで電流を測るっていうんだから、もう拷問ですよね。当然すごく痛いので怒りが募りました。

 そのうちに筋力がなくなって車椅子になりました。頭もタランと垂れてしまうので、首をベルトで吊られていたくらいひどい状態でした。

 それで、ついにステロイドの集中投与が始まりました。医師から「新しい薬」と言われ、10円玉大の薬を一日に17錠も飲まされるんです。肝不全や顔が丸くなるムーンフェースなど、いろいろな副作用が出るのでつらいのですが、「これ以上、病状が悪くなるよりはいいでしょう」と言わんばかりに治療は続きました。食べれば吐くし、ガリガリなのに顔だけが丸い……。その頃のことは「つらかった」ということしか覚えていません。薬は飲みたくないけれど、死にかけるとまた飲むという感じでした。

 でも、それを半年ほど続けていたら、何と治ったんです(笑い)。リハビリ中に急に筋力が戻ってきたことを感じました。そこから徐々に回復し、通学と入院を繰り返しながら、出席日数ギリギリで中学を卒業しました。

 実は入院中、母は病院に漢方を持ち込んでボクに飲ませていました。猿の脳味噌を煎じたものとか、マムシの何かとか……気味の悪いものばかりでしたが、そのおかげで良くなったような気がしていました。病院の薬はつらいばかりで、「モルモットにされた」としか思えなかったんです。

 でも、最近になって医師の方々から聞いた話では、35年前に腰椎穿刺ができる医師、特に女性医師は日本に数人しかいなかったことや、ステロイドの集中投与は当時はまだ、なかなか勇気がいる治療だったことを聞かされ、そこで初めて「あの先生のおかげでボクは助かったんだ」と知りました。

■病気がわかる前はずっと「死にたい」と思っていた

 ステロイド薬は17錠から徐々に減らしていき、3錠まで減るとまたぶり返すというパターンを何度も繰り返し、やっと薬と縁が切れたのは大学1年か2年の頃でした。

 病気がわかる前は「死にたい」とずっと思っていました。イジメられてばかりで生きていても仕方ないと。でも死ぬかもしれない病気になったら、死ぬのが怖くなる。入院中、昨日まで話していた同年代の子のベッドに、翌日は花があったときには「次は俺の番だ」と思いましたから……。

 生きていれば、たまに悪ぶることもありますが、呼吸できること、歩けること、物が持てること、食べられること、便が出ることなどなど、できて当たり前のことが実はありがたいんだと、ボクは身をもって知っています。あの壮絶な治療やイジメを乗り越えてきたので、大抵のことは大丈夫だと思える精神力も養えたと思います。今、こうして会社が続いているのも絶対にそのおかげです(笑い)。

 (聞き手=松永詠美子)

▽かねもと・かねとう 1966年、愛知県生まれ。大学卒業後、京都のデザイン会社に入社。ユニバーサルデザインに興味を持ち、独立を試みたものの失敗。ホームレス生活を経て、99年に日本初のQ&Aサイトサービス会社「㈲オーケーウェブ」を起業。社名変更を経て2018年7月から現職に就く。共著「世界は逆転する!仮想通貨サービス・ICOで世界を変える」(創藝社)などがある。

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