天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

医師の考えを押し付けて透析中止に誘導するのは許されない

順天堂大学医学部付属順天堂医院の天野篤院長
順天堂大学医学部付属順天堂医院の天野篤院長(C)日刊ゲンダイ

 先日、東京・福生市の公立福生病院で医師が患者に人工透析をやめる選択肢を示し、中止を選んだ女性が死亡した事例が発覚しました。ほかにも、同様に透析を受けない選択をした患者は20人に上り、複数人が死亡したとも報道されています。

 福生病院側は「悪意や医療過誤があった事実はない」とコメントしていて、東京都と日本透析医学会は、医療行為が適切だったかどうかを調査しています。

 人工透析は、腎臓の働きが衰えて血液のろ過が十分にできなくなった患者さんの血液を浄化するための治療です。

 中止した場合、血液中に老廃物が蓄積して尿毒症を起こすなど命に関わります。それだけに、仮に医師が透析を中止する方向に患者さんを“誘導”していたとしたら大問題です。

 日本のいまの透析医療はとても優秀です。ダイアライザー(ろ過装置)が使い捨てになるなどして安全性が高まってから50年近くたっていますし、疾患概念や学問的な研究も進んだことで、非常に成熟しています。

「透析はつらいうえに寿命が縮まる」という悪いイメージを抱いている人も少なくありませんが、一概にそうとも言えません。透析を受けていることで、それまで抱えていた生活習慣病を早く発見できて悪化を防げるケースもあります。また、とりわけ胸を開く心臓手術では、透析を受けている患者さんよりも、透析導入前で腎機能がどんどん悪化している段階の患者さんの方が手術成績は悪くなります。これは研究論文でもたくさん報告されていますし、自分の経験からも明らかです。中途半端な状態よりも、透析まで進んでしまった方が結果は良好な場合が多いのです。

■サポートが手厚い日本の透析医療は“文化”として根付いている

 腎機能の悪化は動脈硬化につながるため、腎臓と心臓疾患は深い関係にあります。これまで私も透析の患者さんを数多く診てきました。そうした経験から、患者さん本人が透析を拒否するケースはそうそうありません。患者さんに透析導入の打診をしたとき、「え、透析はちょっと……」と拒否する人は80代後半から90歳以上の超高齢者がほとんどです。それよりも下の世代の患者さんは、透析が必要だとなれば「お願いします」とスムーズに運びます。

 なぜかといえば、それだけ日本の透析医療は手厚いサポートがあることを知っている人が多いからです。公的助成制度が確立している医療費だけでなく、身体障害者手帳を取得した場合は税金の免除や交通機関の割引など、福祉の面でもさまざまな助成を受けられます。

 これが、たとえば抗がん剤治療だった場合、医師が「よく効く薬があるんですが、かなり高額で自己負担が増えますよ」と伝えると、「これまでと同じ抗がん剤でお願いします」という患者さんが一定の割合でいるでしょう。しかし、透析は、「高い治療費がかかるんですよね?」とたずねてくる患者さんはまずいません。透析は、身体的なもの以外の負担が軽減される手厚い体制が整っているうえ、フリーアクセスで治療を受けられることを国民の大多数が知っているのです。

 それくらい成熟した“文化”として根付いてきているのに、非常に限定された地域の中で、「透析はこんなにつらいんですよ」とか「透析になったら生きていないのも同然ですよ」といったような誤解を招く知識を患者さんに提示し、透析を選ばないように誘導するのは許されないことです。仮に今回の福生病院もそうだったとすれば、透析を導入する前の段階で切り捨てられた患者さんは不幸だったとしか言えません。

 日本透析医学会の最新の情報やガイドライン、新しいエビデンスをしっかり確認している医師なら、福生病院のように医師個人の考えを患者さんに押し付け、透析中止の選択肢を示すなんてことは恐ろしくてとてもできないでしょう。

 限られた地域医療の中では、患者さんが頼れる医師が少ないという現実があります。ただでさえ足りていない医師が自己研鑚せずにお山の大将になってしまい、経験だけに基づいた自己判断を振りかざすと、不幸な結果を招いてしまう危険があるのです。今回の一件は、さまざまな問題が残る地域医療に対するひとつの警鐘だと私は考えています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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