がんと向き合い生きていく

「意思を尊重する」と言いながら既定路線は決まっている?

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 コンピューター会社に勤務していたAさん(77歳・男性)が、病院で外来診察を受けて午後になって再度来院されました。セカンドオピニオンのため、他院への診療情報提供書とCT検査の画像データが入ったCDを取りに来られたのです。

 胃がんの手術を受けてから2年経った今回のCT検査で、Aさんの腹腔内にはごく小さいリンパ節が見られました。手術した病院で6カ月前に受けたCT検査と比較するために持参する今回のCT画像を書き込んだCDができるのを待っていた時のお話です。

 Aさんは、もしこれが再発である場合は覚悟をしなければならないと思っていました。

「先生! 私はいざとなった時のために『延命治療はいりません』『人工呼吸器はつけません』『胃ろうは作りません』、そう書いたものを仏壇に置いてあります。それでいいですよね?」

 Aさんはそう言うと、さらにこんな話を続けました。

 ◇  ◇  ◇ 

 3年前のことです。肺がんだった兄が病院から退院して自宅に戻り、「相談があるから来てくれ」と言うので足を運びました。兄が寝ているベッドの脇に往診の医者と看護師と奥さんがいて、そこに私も加わりました。

 医者が肺がんの治療はもう無理な状態であることを説明した後、「あなたにとって最善の方法を考えましょう。あなたの意思を尊重しますよ」と言いました。続けて、看護師が「食べられなくなった時は胃ろうは作りません。人工呼吸器はつけません。なるべく苦しまないように希望する……それでよろしいですね」と、ゆっくり繰り返します。

 兄は一つ一つにうなずき、それと一緒に医者と看護師もうなずいて、それを看護師が記録しています。

 私は黙って聞いていましたが、その時、なんとなく違和感を持ったのです。医者は「あなたにとって最善の方法を考えましょう。あなたの意思を尊重する」と言いながら、既定路線は決まっている。看護師が「胃ろうを作らない。呼吸器もつけない」と確認し、兄が同意するのが当然といった感じでした。なんだか医者や看護師の思い通りに進めるための単なる儀式に思えたのです。

■「生きたい」と思ってもなかなかそうは言えない

 医者や看護師の考え方が、きっと間違っていることではないのでしょう。ですから、私は反論することもありませんでした。後で分かったのですが、あれが「人生会議」ってやつだったと思うのです。でもあれじゃあ、本当の人生会議ではないですよね。

 医者と看護師が帰って兄と私だけになった時、「兄さん、あれで良かったの? 私には『いい治療法があったら探してくれ』と言っていたじゃないか。もう、探さなくていいの?」と尋ねました。すると、兄は「いいんだ。最後はあの医者と看護師に頼むしかないのだから」と答えます。

 私は思いました。

 病気になった者は立場が弱い。あんなになると負け組なんだ。「あなたにとって最善の方法を」と言われても、「なにかいい治療法はないか……生きたい」と心で思っても、なかなかそんなことは言えない。もし、そんなことを言ったら、きっと「お金持ちでもないのに、あの年寄りがまだ生きたがっている」そう思われるだけなんだ。

「いつでも考えを変えていいです」と言われても、話し合った記録を文書で残すわけだから、これをひっくり返すのはとても大変で、無理ですよ。「この前、『なにもしない』って希望しましたよね。ここに書いてありますよ」と言われるだけだよね。

 ◇  ◇  ◇ 

 2週間後、Aさんはセカンドオピニオンの返事を持って来院されました。

「小さいリンパ節は、よく見ると前のCTでもありました。PET検査をしてみましたが、問題はなく、再発は考え難いと思います。念のため、6カ月後のCT検査を見ていただければと思います」

 不安が解消され、Aさんは大喜びでした。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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