独白 愉快な“病人”たち

すぐに余命を考えました…松崎悦子さんが語る印環細胞がん

松崎悦子さん
松崎悦子さん(C)日刊ゲンダイ

 私が告知されたのは「印環細胞がん」という特殊なタイプの胃がんでした。一般的な胃がんは、胃の粘膜の表面に発生するのですが、印環細胞がんは胃粘膜の表には顔を出さず、胃壁の中を這うように広がっていくので、とても発見が難しく、しかも早い進行でリンパまで行ってしまうたちの悪いがんです。

 何となく調子の悪さを感じたのが2019年の初夏でした。コンサートが続いて疲れていたので、かかりつけのクリニックで栄養剤などをいただいていました。それでもなかなか体調が戻らないことを訴えると、「胃カメラ検査をしてみますか?」と言われ、それがきっかけで病気が発覚しました。「がんが見つかりました。ちゃんと検査しないとわかりませんが、手術のできる病院を選んでください」と言われたのです。

 すぐに大きな病院で検査を受けたところ、「印環細胞がん」と診断されました。勧められた治療は胃の全摘出手術でした。その時はわかりませんでしたが、手術後にわかったステージは1で、その中でも下のほうの本当に初期の初期でした。

 それでも胃の全摘出になったのには事情があります。実は私、12年前に膵臓を半分取っていて、それに伴って脾臓を取ってしまったんです。今回は胃を3分の1残す選択肢もありました。ただ、「脾臓があれば脾臓から胃に確実に血液を送れますが、脾臓がないと血液がうまく送れず、残した胃が壊死してしまう可能性がある」と言われました。そうなったら再手術で全摘することになる。せっかく残してもそのリスクがあるならと全摘出をお願いしたのです。

 最初に「印環細胞がん」と告げられた時は、病気を調べてみてすぐに余命を考えました。「もしあと半年、1年と言われたら何をどうしたらいいのだろう」と……。ただ、自分の命というよりも家のことや事務所のこと、変な話ですが“通帳”のことなんかが気になって(笑い)。意外と冷静だったなと我ながら思います。

 今、事務所の社長をしている娘が、家に泊まり込んでくれてフォローしてくれたのは助かりました。また、アメリカに住んでいる息子の家族がたまたまビザの関係で日本に帰ってきてくれたこともいいタイミングでした。手術までの間、大人ばかりだと暗い話にもなりますが、幼い孫にはがんを内緒にしたので、いつも通りの賑やかな雰囲気で過ごせたのは精神的に救いになりました。

 寝室では娘がいつも隣にいてくれて、本音でいろいろな話をしました。私よりポロポロ泣くので、つらい思いをさせてしまったと思います。でもずっとそばにいて、病院にも泊まり込んでくれて本当にうれしかった。術後は下痢がひどかったので夜中に何度も起こしてしまいましたが、彼女がいてくれたことが何より心強かったです。

夫の松崎好孝さんと
夫の松崎好孝さんと(C)日刊ゲンダイ
術後4カ月でステージに復帰

 一番問題だったのが食事です。手術で食道と小腸をつなげたので、小腸が胃の代わりをするまでの1~2カ月はとてもつらかった。

 初めての食事は重湯なんですけれど、それですら体が受け付けない。朝食後はいつも気持ち悪くて、午後に少し良くなるとリハビリ……という入院生活でした。

 3週間ほどで退院した後も食事は相変わらず大変で、わずかな添加物で具合が悪くなってしまう。それで娘がだしから手作りして食事を用意してくれました。

 そんな私を一気に元気にしてくれたのは、娘と2人で行った3週間のハワイ旅行でした。ハワイは年に2~3回行くほど大好きな場所です。術後まだ3カ月だったので迷いましたが、幸い、抗がん剤治療は必要なかったので思い切って行ってきました。最初は不安でしたけれど、あの景色とあの空気の中で毎日散歩していたら、すっごく元気になったんです。

 帰国後、家でジッとしていられなくなって、ステージに復帰したのが12月。術後4カ月でした。

 本当は病気のことは一切公表せずに、何事もなかったようにス~ッとステージに戻りたかったのですが、関係者のみなさんに「暗いニュースが多い中で明るい出来事だからご報告しましょうよ」と言われて、復帰初のステージでがんのことを公表したのです。

 一番恐れていたダンピング症状(小腸に食べ物が直接流れ込むことで起こる頭痛やめまい、発熱や嘔吐など)も軽くて本当によかった。あまりステージを離れてしまうと、ステージに立つのが怖くなって「もうこのままでもいいか」となるのが心配だったのです。

 病気をしてみて、応援してくださる人の心の温かさに気づきました。化学療法などで私よりもっと長くつらい思いをされている方もいらっしゃると考えると、「くじけてられない」と思いました。そして何より、「胃カメラ検査してみますか?」と言ってくれた先生に感謝です。あと1年放置していたらどうなっていたことか……。

 これからだってわかりませんが、先のことを考え過ぎると怖いので、今立っている場所から見える範囲のところで頑張ろうかなと思っています。

 (聞き手=松永詠美子)

▽まつざき・えつこ 1951年、愛知県生まれ。学生時代にアマチュアバンド「チェリッシュ」に紅一点の女性ボーカルとして加入。71年「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューし、翌年からデュオで活動を始める。73年に「てんとう虫のサンバ」「白いギター」などがヒットし、数々の歌謡賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。77年にパートナーの松崎好孝氏と結婚。コンスタントに新曲を発表しつつテレビやラジオで活躍。出産や子育てを経て、アメリカと日本を行き来する生活を続けながら、現在もコンサート活動で全国を飛び回っている。

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