がんと向き合い生きていく

共感を超え、重篤ながん患者にずっと付き添う看護婦がいた

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 小中学生の女の子が将来の夢として「看護師になりたい」と話すことがあります。祖母が病院で亡くなった時に、見舞いに行って優しい看護師さんに憧れたと話してくれる女の子もいます。

 たしかに優しい心を持った看護師はたくさんいらっしゃいます。私が一緒に働いた看護師でも、進行したがん患者を看護していて恋愛に発展し、結婚。しかし患者は亡くなり、残された子と共に歩むことになった方は1人や2人ではありません。

 それだけ心の清い、優しい、一途な人たちがいます。がん患者で亡くなるのが分かっていても結婚され、患者との間に子を授かり、母子家庭となってしまったものの、お子さんを立派に育てられてます。

 がん看護では「共感」が大切と言われ、そう教育されます。共感とは、患者が「話をよく聞いてくれて、この人は分かってくれている」と感じることだと思います。

■一途な優しい気持ちで頑張っている

 かつて、そんな「共感」を超える事態に遭遇したことがあります。若いがん患者のGさん(27歳・男性)が重篤となって死に直面している時、思わぬ行動に出たのがA看護師です。職員に対しても管理が厳しい最近の病院では考えられない行動でした。

 A看護師は日勤の勤務時間を終えると私服に着替え、重篤となったGさんに付き添ったのです。さらに、夜勤の後輩看護師に、「この患者さんは私がみるから」と告げました。A看護師は翌日の朝から勤務予定でしたが、それもしっかり勤めると言い張るのです。

 後輩の看護師から見ると、A看護師は患者と一緒に倒れる覚悟のように思えました。病棟の看護長はA看護師を説得しました。しかし帰宅させようとしても、「私は患者の友人です! 友人が付き添ってなにが悪いのですか? 勤務は勤務でしっかりやります」と譲りません。私服になったら仕事ではない。患者と看護師ではなく、友人だと言うのです。

 Gさんはいつ亡くなってもおかしくないほど重篤でしたが、意識ははっきりしていました。

 かたくななA看護師に対し、看護長は「絶対ダメ。許さない」と言います。後で聞いたことですが、看護長は心の中で「私が2人を引き裂こうとしているみたい。A看護師に意地悪している自分がいる……」と少し思ってしまったそうです。

 それでも、「夜8時までにしましょう。私が8時になったら迎えに来るから」と言って説得しました。しかし、夜8時に迎えに行ってさらに説得しましたが、A看護師は応じません。結局、A看護師は翌朝までGさんの部屋から離れませんでした。朝になり、看護長はA看護師を休ませるために勤務を外し、同僚に無理やり看護宿舎に連れて行かせたようでした。

 その後も、A看護師は疲れを隠しながら、制服でも私服でも、重篤なGさんの看護にあたりました。

 5日後、Gさんは亡くなりました。Gさんの母親は、「Aさんには、どんなに感謝しても感謝しきれない。息子は最期まで幸せだった。Aさんは息子の幸せを守ってくれた」と話されました。

 しかし、A看護師の落胆は尋常ではありませんでした。Gさんが亡くなってからしばらく休んでいたのですが、結局、病院を辞めてしまいました。その後、どうされたかは分かりません。

 仕事と恋愛の公私混同だったと言えますが、人生、命をかけて、愛する人を守った、看護した。A看護師は本望だったのだろうと思います。

 子供たちが「看護師になりたい」と夢を持ち、看護学校に入学し、そして病院に勤務した時、自分の夢と現実とのギャップに悩む新人看護師はたくさんいます。看護師は毎日、毎日、病院の規則に縛られながらも、「病気の患者の役に立ちたい。救ってあげたい」という優しい気持ちで頑張ってくれています。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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