死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

医者も忌み嫌う「死の現実」自分の身に起こると理解しない

小堀鷗一郎医師
小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ

 厚生労働省の人口動態調査をもとにした「死亡場所の推移」によると、1951年は病院・診療所での死亡が11・7%だったのに対して自宅が82・5%だった。この割合は1976年になると逆転し、2005年には病院・診療所が82・4%で自宅が12・2%となっている。50年あまりで、ほぼ真逆の割合になった格好だ。

「私が子供の頃は、自宅でのみとりが当たり前でした。年を取り衰えて寝たきりになり死んでいく。そんな姿を目の当たりにしたのです。おかげで誰にとっても死は身近なものであり、いつか死ぬものなのだと、みんなが自然と認識できていましたね」

 だが、在宅死が1割の“例外”のようになってしまった今は、死を現実のものとして受け止めて、いつかは身の回りで起きることなのだと実感できない人が増えているという。

「現代人は死から遠ざかり、目をそらすようになりました。死ぬことを想像できず嫌悪するようになっています。これは日常的に人間の死と接しているはずの医師であっても同じですね」

 少し前、小堀さんは医師たちでつくる団体から原稿を依頼された。その時に付けたタイトルについて、団体側に難色を示されたこともあったという。それは定年を迎えるまで外科医としてメスを握り、その後は訪問診療医として400人以上の患者をみとってきた経験をもとに書いた論文だった。

「タイトルは『生かす医療から、死なせる医療へ』と付けました。手術室を出て在宅医療の現場に足を運ぶうち、『救命・治療・延命』だけが医療ではないと痛感したからです。ところが、団体側から“言葉が乱暴だ”との指摘を受けてしまった。それで『命を永らえる医療から、命を終えるための医療へ』と変えたのですが、これも却下されて……。医師の団体でさえも死を忌み嫌っている、現実のものとして受け止められなくなっているのだと感じました」

 医師でさえも死を疎み、嫌悪するようになっているのだ。こうした傾向は、一般の社会になると、より顕著だ。

「神戸に住む女性が、身寄りのない人たちが最期を迎える施設(みとりの家)を造ろうとしたことがありました。ところが地元住民たちの猛反対で実現できなかった。自分たちの生活圏で、大勢の人が死を迎えるような施設ができることを拒んだのです。住み慣れた賃貸住宅で最期を迎えたいと希望した一人暮らしの男性が、『孤独死は事故物件になる』と大家に反対されたこともありましたね」

 ある高校の講演会にスピーカーとして招かれた時もそうだった。

「この時は『あなたはどこで死にたいですか』をテーマにしようと準備を進めていました。高校生にも死という現実と向き合ってもらいたかったからです。ところが『死を連想させる話は高校生に向かない』と校長先生に反対され、テーマを変えることを要求された。人は必ず死にます。それなのに今の日本では、死について思いを巡らすことを嫌う。死は、自分の身に起こることだと理解しようとしない。どこか他人事なのです」

 生きていれば、いつかは老いて死ぬ。人間は不老不死の存在ではないのだ。まずはその現実を直視する。そして、自分や自分の家族にとって望ましい死とはどのようなものか、最期の時をどう過ごしたいか、死を迎えるときのことを想像してみる。

 死を恐れずに理解することは、人間らしい死を迎えるために欠くことができない作業なのだ。

(取材・文/稲川美穂子)

小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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