外科医にとって欠かせない手術前の「手洗い」は時代とともに変化している――。前回、そんなお話をしました。科学的な検証をベースに、より低コストで必要以上の手間がかからず、環境にもやさしい方法に変わってきているのです。
医師やスタッフの手に付着しているブドウ球菌系の細菌をはじめ、大腸菌や腸球菌といった常在菌が手術中に患者さんに感染して感染症を引き起こすと、命に関わるケースもあります。それだけに、外科医にとって手洗いは基本中の基本となる作業といえます。
そのため、手洗いに関しては医学生時代から厳しく指導されます。研修医として外科に回り、スタッフに「初めて手術室に入る」ことを伝えると、実習を請け負ったチームの担当者が手洗いの方法を教えてくれるルールになっているのです。
研修医時代、指導役の看護師さんがジッと目を凝らしている前で初めて手洗いをしたときは、肩と背中に力が入りすぎてガチガチになってしまい、3回洗っただけでヘトヘトになったことを今でも覚えています。洗い残しがないように丁寧に洗わなければならないのはもちろん、手洗いの最中に少しでもどこかに手が触れてしまうと、「はい、やり直し」と厳しく指摘されるのです。
外科医になるとこの手洗いをずっと続けるのか……と、鬱々とした気持ちになったこともありました。実際、手洗いを負担に感じて外科医の道を選ばなかった同期生もいました。
外科を選んだ後も、手洗いがだんだんいい加減でルーズになっていった外科医は、手術で感染症を引き起こしたり、大事な場面で問題を起こすなどしてフェードアウトしていきました。その本人の「適当でいいだろう」というマインドが、あらゆるところで表れるのです。
反対に、手洗いをきっちり厳密にやりすぎた外科医の中には、その真面目さゆえに短命に終わってしまった人もいます。あまりにも真面目すぎて周りがついてこなかったのです。
それくらい、外科医にとって手洗いは重要で、「手洗いが外科医の人生を決める」といっても過言ではありません。
私にとっても、手洗いは手指消毒とともに手術モードに入るための「厳重な儀式」です。手洗いをする洗面台には、必ず時計と鏡が設置されています。きちんと時間をかけて入念に手洗いを行ったかを確認したり、腕の反対側までしっかり洗えているかどうか、すすぎ残しがないかどうか、鏡を見てチェックするのです。
私は、手洗いする3分ほどの時間を、手術に臨む自分自身を最終チェックする時間にしています。若いころとは違って、いまは頭にヘッドライトや拡大鏡をつけているので、そうした機材がピシッと真ん中に装着できているか。キリッと引き締まった表情をしているか……鏡の向こうの自分に問いかけます。仮面ライダーではありませんが、変身ヒーローがしっかり変身できているかどうかを最後に点検するイメージでしょうか。
手洗いは、これから新たな手術に臨むに当たって、心も体も面構えもすべてが整っているかどうかを確認する最後の場なのです。
外科医になって以来、これまで8000件以上の手術を執刀してきました。手洗いはその倍以上、2万回は洗っているでしょう。かつては、1日に4回も5回も手洗いする機会が当たり前のようにありました。手洗いはいったん正しい方法を身につければ、自転車の乗り方や泳ぎ方と同じように体が勝手に覚えてくれるものです。ですから、私の体には正しい手洗いがしみついています。
手洗いの基本中の基本は、手に取ったせっけんをしっかり泡立てて、手と腕に満遍なく擦り込むことです。せっけんを泡立てるのは泡で消毒するためもありますが、洗い漏れを目で確認するという意味もあります。泡がついていないところがあれば洗い残しがあるということですし、流水ですすいだ後、泡が残っていればそこも洗い漏れだとわかります。
新型コロナウイルス感染症対策として、手洗いの重要さが一般にあらためて認知された今、正しい手洗いを覚えておいて損はありません。
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