QOD(クオリティー・オブ・デス=死の質)という考え方が広まっている。QOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)だけでなく、終末期も満足できるものにする――。超高齢社会に突入し多死社会を迎える日本において、これは真剣に検討すべきテーマだろう。
そのための医療のあり方も重要なポイントだ。
「これまでは、人生の最終段階を病院で医療者にお任せするというのが当たり前になっていました。人々は“医療”を中心に据えて人生の最期を迎えていたのです。でも、本来の医療は、人々の暮らしを支える“黒衣”。人生を支配するものではありません」
こう言う蘆野さんは、在宅医療に携わる前は腫瘍外科医だった。東北大学医学部を卒業後は東北大学病院に勤務し、1985年に福島労災病院に赴任。胃・大腸・肝臓などの消化器系のがんや乳がん、甲状腺がんをメスで切除してきた。
「腫瘍外科医をしていた頃は、50床のベッドがあれば、その半分は治る見込みのない患者で占められていました。彼らの多くは、がんの痛みが消失することもなく、病院で亡くなっていったのです」
苦悶に耐えながら亡くなる患者を目の当たりにし、「何としてでも痛みは取り除かなければならない」と強く思うようになったという。
ちょうどその頃、世界保健機関(WHO)でもモルヒネの使い方を提示するなど、緩和ケアの取り組みが始まる。ただし日本では、そうした痛みに対し治療する医師は、まだ少なかった。
「最初は試行錯誤でしたが、次第に時間を決めて定期的に投与するなど、積極的かつ正しく使うことが有効だと分かってきたのです」
とはいえ今も昔も、モルヒネに抵抗感を覚える人は少なくない。他に打つ手がなくなったときに使う、副作用が強くて恐ろしい薬物というイメージだ。
「そう誤認している人は医療者にもいます。でも、モルヒネは正しく使うことで、それまでは痛みがあってできなかったベッドからの起き上がりはもちろん、自力でトイレ、食事をできるようになる方もいます。直前まで痛みを感じずに亡くなるケースも多いのです」
蘆野さんが使うモルヒネで、がん患者は痛みから解放された。しかし、入院患者からは「良くなったのに、なぜ自宅に帰れない」「帰れないならば、なぜほかの治療をしない」などの声が聞かれるようになった。
「がん告知はしない方がいいとされていた時代。患者は自分が何の病気か本当のことは知らないまま、亡くなってしまっていました」
残された時間に限りがあることを知らなかった人も多いだろう。
ならば最期は家族で一緒に過ごせるように自宅に帰してあげたい――。蘆野さんはそう思うようになっていった。当時は介護保険もなく、確立された在宅医療の制度もなかったが、幸運なことに、勤務先の病院が労働福祉事業団(現在の労働者健康福祉機構)の在宅医療プロジェクトに参加することになった。
蘆野さんは、これをきっかけに本格的に地域で在宅ターミナルケア(現在の在宅ホスピスケア)に取り組むことになる。
(取材・文=稲川美穂子)
在宅緩和医療の第一人者が考える「理想の最期」