在宅緩和医療の第一人者が考える「理想の最期」

痛さやつらさを和らげ生きがいを奪わない在宅医療を選択したい

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 8年間、在宅医療に取り組んだ十和田市では、自宅で看取る文化が根付いていった。がんの終末期だけではなく、非がんや老衰で亡くなる患者も、自宅で安らかな最期を迎えるようになった。旅立つ直前まで痛みもなく、食事ができるくらい自立した生活を送る――人間の尊厳が守られた臨終である。

 2013年に十和田市を離れ、青森県庁や青森県立中央病院で、在宅医療や緩和ケアの普及に努めることになった。

「青森県全体を見渡すと、その頃はまだ、病院で症状を緩和するだけの医療が中心になっていました。患者が地域に戻り、在宅で治療が行われるケースは受け入れられていませんでした」

 そのため、県の中央から情報を発信する必要があったのだ。ただし、当時は医療関係者の間でも「在宅医療なんてとんでもない」といった意見も多かったという。

「とりわけ県の医師会や病院内の事務部・看護部など、古い体質を引きずるトップの意向が強く反映されるヒエラルキー型の組織は厚い壁になっていました。時間をかければ変えられると思う一方で、ここで時間をかけてはいられないと、ある程度割り切ることも必要でした」

 翌年、地域包括ケアに積極的に取り組む理事長に招かれ、帯広市の北斗病院に赴任する。ここでも地域で安心して看取りが行える“町づくり”に取り組んだ。

 在宅医療では、医師よりも訪問看護師の役割が大きい。主体的に緩和ケアを行える訪問看護ステーションの強化も、図らなければならなかった。蘆野さんは、看護師にとって経験がない処置を自ら実践し示すことで、古い常識に覆われた殻を壊し、持てる能力を十分に発揮できるよう、頭の中を解放していった。

「地域ではあまり使われたことのない量のモルヒネを使ったり、お腹にたまったゼリー状の特殊な腹水を在宅で抜いたりしたので、同行した訪問看護師や薬剤師には大変驚かれました」

 医療者からすると、在宅では厳しいと思われる症例も少なくなかったという。それでも蘆野さんは、患者が望めば在宅で支援した。看護師たちには、どんなケースでも在宅でやれるということを身をもって教えていったのだ。

「最期は病院じゃないと難しいのではないかというケースがあると思っているのは、患者側も同じです。まずは在宅医療で看取りができる選択肢があることや、病院と在宅では看取りの仕方が違うということを知ってもらえたら、と思います」

 それぞれの人生にはさまざまな事情があり、価値観も多様だ。その時々で気持ちも揺れ動く。だが、自分で判断ができるうちに、どのような最期にするかを考えておくべきだ。

「私は人生の最終段階で、痛さやつらさを和らげて生きがいを奪わないケアを受けられる在宅医療を選択したいと考えています」

 それが1980年代から在宅医療に関わってきた蘆野さんの理想の最期だ。

(取材・文=稲川美穂子)

蘆野吉和

蘆野吉和

1978年、東北大学医学部卒。80年代から在宅緩和医療に取り組む。十和田市立中央病院院長・事業管理者、青森県立中央病院医療管理監、社会医療法人北斗地域包括ケア推進センター長、鶴岡市立荘内病院参与などを歴任し現職。

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