独白 愉快な“病人”たち

死亡率8割の脳出血を乗り越えた俳優の野崎ゲレーロ聡史さん

野崎ゲレーロ聡史さん
野崎ゲレーロ聡史さん(C)日刊ゲンダイ
野崎ゲレーロ聡史さん(俳優・37歳)=腎不全・脳出血

 忘れもしない2009年1月16日の午後1時すぎ、2週間後に本番を控えた主演舞台の稽古中に、急にろれつが回らなくなりました。演出家に「そんなんじゃダメだろう!」とめちゃくちゃ怒られて、いったん休憩になりました。

 まったくの健康体で、その朝も元気いっぱいだったので、自分の中では「さっきアメをなめてたせいかな」と軽く考えていました。でも午後2時から稽古が再開してしゃべりだしたら、頭の後ろ左側で「プチン」と音がして、そのまま後ろにスーッと倒れたんです。まるで無重力状態になったように力が抜けてしまったので、背後にいた先輩が受け止めてくれなかったら後頭部を強打していたと思います。気づいたら、右半身が動かなくなっていました。

 その後のことも一部始終を覚えています。稽古場からタクシーで一番近い病院へ行く最中、なぜかオナラをしていたことも、病院に着いて血圧を測ったら上が250(㎜Hg)、下が200で、医師から「これでなんで生きているの?」と言われたことも、ICUに入ったときに看護師さんが僕を3度見して「あの方は日本の方ですか?」と付き添いの劇団員に確認していたことも……。検査の結果、脳のど真ん中、脳幹部に出血が認められ、ほどなくして最寄りの大学病院に運ばれました。あとから聞いた話によると、脳幹部の出血は死亡率が8割と高いため、山口の母親には「今日がヤマ場」と連絡がいったそうです。母親は看護師なので、病状を聞いて「自分が東京に着くまでもたないだろうと思っていた」と言います。 

 でも、そこで奇跡が起こりました。検査で「血が勝手に引き始めている」と医師が言い始めたのです。実際、素人目にも画像でそれが分かるくらい出血箇所が小さくなっていました。ヤマ場と言われた日を乗り越え、山口から駆け付けた母親には「なんで生きてるの?」と言われました(笑い)。

 ぜんぜん自覚はなかったのですが、いろいろ調べるとどうやら僕は腎臓が悪かったらしく、医者からは「腎不全による高血圧が脳出血を引き起こしたようだ」と説明を受けました。

 左右の腎臓は「片方は0%、もう片方も30%しか働いていない」と言われ、なんと、「もって3年の腎臓。いずれ透析になるよ」と告知されました。言われてみれば、倒れる前の1週間のどこかで一度だけ血尿がありました。でも、本当に一度だけだったので何も気に留めていなかったのです。

 主演舞台はもちろん降板になりました。でも舞台に出るつもりでリハビリをしまして、また奇跡が起こったんです。

 つまようじも持ち上げられないほど握力がない状態から、なんと2週間後には外出許可が出るまで回復して、自分が出るはずだった舞台を、右足を多少引きずりながら自力で歩いて見に行きました。この回復力には、病院スタッフの方々もビックリして、僕は「奇跡の人」と呼ばれました。

■「顔の表情さえ動けば演劇はできる」と思っていた

 50日間にわたる入院で脳出血は奇跡的にそのまま治癒し、手術はせずに済みましたが、腎不全と右半身不随は残りました。退院後はいったん山口に帰ってリハビリ生活をし、体が自由に動くようになってからアルバイトでお金をためて、30歳のときに再び上京しました。モチベーションは「演劇がやりたい」という思いだけです。

 死亡率8割と言われても、腎機能がもって3年と言われても、車イス生活になると言われたこともありましたが、「顔の表情さえ動けば演劇はできる」と思っていたので、やめるつもりはありませんでしたし、悲観することもなかったです。なったものはしょうがないので、あとは病気に合った対処をするだけだと考えました。

 透析が導入されたのは28歳からで、今でも週に3日、1回5時間以上かけています。本来はタンパク制限や水分制限を厳守するべきなのですが、幸い腎臓以外はすこぶる健康なので、少し自由にさせてもらう代わりに、飲み薬と長めの透析でリカバリーしているといったところです。

 透析時間を短くしたいと考える人もいますが、僕はたっぷり時間をかけることで心臓への負担を軽減して、長く元気な野崎でいたいと思っています。毎回、ゲームをしたり映画を見たりできるので、むしろ趣味の時間が延びたと受け止めています。

 病気をして感じたのは、「1日は一生分。明日があるという保証はない」ということ。若いからとか、高齢だからとか関係ないんですよね。人はいつどうなるかわからない。だから病気があっても楽しく生きたいですし、入院中に出会った重い病気の子供たちのことを思うと、「ヘコんでいる場合じゃないな」と前向きになれました。

 おかげさまで、今はとても元気です。2週間に1回の血液検査の数値は安定していますし、2~3年前に撮った脳のMRI検査の画像もとてもキレイで、「あの時の脳出血、どこ行ったんだ?」って笑ってしまうくらいです。

(聞き手=松永詠美子)

▽のざき・げれーろ・さとし 1983年、山口県生まれ。18歳の時に俳優を目指して上京。アルバイトをしながら映画のオーディションを受ける。Vシネマなどに出演したのち、2008年にNHK土曜時代劇「オトコマエ!」に出演を果たす。09年の舞台稽古中に倒れ、実家の山口で5年間療養。30歳で再び上京し、現在はCMやテレビなどで活躍中。今年出演した「有吉ダマせたら10万円」(フジテレビ系)では、ナオト・インティライミの弟(ウソ)として登場し話題になった。

関連記事