独白 愉快な“病人”たち

白血病と闘う能楽師の武田文志さん「医学の進歩を知った」

観世流能楽師の武田文志さん
観世流能楽師の武田文志さん(C)日刊ゲンダイ
武田文志さん(観世流能楽師・43歳)=慢性骨髄性白血病

 今から7年前の10月、36歳の誕生日に緊急入院をしました。病名は「慢性骨髄性白血病」です。

 白血球の数値が19万8000マイクロリットルもありました。正常値は3000~8000、5万~6万で白血病が疑われるレベルなので、20万に迫る数値はかなりの異常です。後から聞いた話では、「病気は少なくとも半年前から始まっていただろう」とのことでした。

 病院を受診したきっかけは、風邪の症状で医師から処方された風邪薬を飲んでいて、朝は熱が下がりますが、夜になると微熱が出るというのを4~5日繰り返していたからです。

 19歳の頃、風邪のウイルスが肝臓に入る当時のはやり病で1カ月入院しましたが、その時もまったく同じ流れでした。以来、「怪しい時は血液検査」という教訓があったので、かかりつけの病院に向かいました。

 実はその約40日後には、大曲「安宅」の舞台が控えていました。36歳の若さでそれを務めるのは大きな挑戦でしたから、「早めに対処しておこう」と思ったのです。

 検査は金曜夜でしたから「結果は週明けに」と言われていたのですが、翌土曜の早朝に病院から電話があり、「白血球の数値がとんでもない。詳しくはお会いして話しますので、すぐ来られますか?」と言われ、「詳細な検査は血液内科がある総合病院でないとできないけど、そちらで即入院になるかもしれません」と告げられました。

 行くとすでに紹介状が完成していて、そのまま総合病院へ移動して、即入院となりました。

 私は能楽以外の知識がない人間です。白血病と言われてイメージしたのは、ひと昔前の悲劇の主人公でした。ただ、わりと冷静に考える性分なので、「今の医療における白血病の扱いはわからないから、まずは医師のお話を聞こう」と妙に落ち着いていました。

 総合病院で再検査後に説明されたのは、白血病には慢性と急性があり、おのおの骨髄性とリンパ性があり、ざっくり4つに大別されること。白血病は確定、ほぼ「慢性骨髄性」で間違いないが、正式には週明けの骨髄検査で確定とのこと。慢性骨髄性白血病には数種類の特効薬があること。そして、何かの理由でその薬が飲めない場合は別にして、薬が飲めれば通院でも治療できることも聞き、医学の進歩を知りました。なので通院という選択肢もありましたが、「そんなことを言っている場合ではない」と思い、入院を即決したのです。

 週明けの検査で慢性骨髄性と確定し、18日間の入院を経て寛解のお墨付きをいただき、退院したのが11月6日。舞台は11月30日でした。主治医は入院当初から「自分が大丈夫だと思ったならOK」とおっしゃいましたが、能はハードスポーツ並みの消耗をしますから、非常に慎重に考えました。

■先生から話を聞くまでは「死」もちらついた

 でも、退院から2日後に試しに少し動いてみたら、ウソのように疲れ知らずで一曲舞い終えてしまったので、我ながら驚きました。というのも、病気発覚前の数カ月はとても疲れやすくて、一曲舞うとヘトヘトになって座り込んでいたのです。半分冗談で「年のせい」にしていましたが、「ああ、病気だったんだなあ」と実感しました。お客さまには白血病を包み隠さず公表し、直前での降板もあり得ることをお知らせしましたが、結果的には無事に舞台を務めることができました。

 先生からお話を聞くまでは「死」もちらつきました。でも、私の根本には「いついかなるときも怖いのは2次災害だ」という考え方があり、それが幸いしました。ここでいう2次災害は、精神的に病むことです。私が実践した回避法は、まずは自分を優先して考えたこと。常識やしがらみをいったんよけて、自分の気持ちに正直になったのです。頭に浮かんできたのは能のことばかりでした。以来、「今生は能に捧げた人生」と言っています。

 よくよく考えると、20代までは「自分のための能」、30代に入ると「能のための自分」でした。そして、白血病を境に能と自分の関係はさらに変化しました。そもそも能は「人々の寿命を永らえさせ、幸せを増長させること」を目指す芸。シンプルに言えば「世のため人のため」にあります。私が病気をしたのも罰ではなく、世のため人のために生かせる経験だったと捉えました。これまで以上に人々の寿命を永らえさせ、幸せを増長させるよう活動していくのが私の役目だと感じています。

 今も「タシグナ」という白血病の特効薬は飲み続けています。不思議なのは、病後、大体年に1度は3~4日間の休養を余儀なくされるようになったこと。ある年はノロウイルス、またある年はインフルエンザ。昨年は後厄のせいか、声帯ポリープ手術、ギックリ首、インフルと一通り経ました(苦笑い)。年齢もあるのでしょうが、強制的に休養を与えられているようです。方々にご迷惑をおかけして申し訳ないとは思いつつも、悪いことと捉えず、みんなデトックス(解毒・排出)だと受け止めるようになりました。

(聞き手=松永詠美子)

▽たけだ・ふみゆき 1977年、東京都生まれ。重要無形文化財総合認定保持者。(公財)武田太加志記念能楽振興財団理事。観世流二十六世宗家・観世清和、人間国宝・野村四郎及び、父・武田志房に師事。3歳で初舞台を踏み、延べ百番ほどのシテ(主役)を務め、多くの大曲に異例の若さで挑み続けている。全国で経営者から学生まで幅広い層を対象として「能楽700年の歴史に学ぶ〇〇哲学」などの公演を展開し、多方面から注目を集めている。

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