人生に勝つ性教育講座

名画「愛と哀しみの果て」では語られなかった主人公の感染症

 「愛と哀しみの果て」という米国の映画をご存じでしょうか? 裕福ですが行き遅れたデンマーク人の女性が、友人の男爵と「打算的結婚」をした後、生きがいを求めてアフリカに渡り、コーヒー園経営や愛に命を燃やす姿を描いたドラマです。主演は、当時36歳のメリル・ストリープ。恋人役は当時49歳のロバート・レッドフォード。映画公開の翌年のアカデミー賞では作品賞をはじめ7部門を受賞しました。名画としてテレビで何度も放送されたので、ご覧になった方も大勢おられると思います。

 この映画の原作は「アフリカの日々」という小説で、著者はカレン・ブリクセンという女性です。アイザック・ディネーセンというペンネームでいくつもの小説を発表していて、「アフリカの日々」は彼女の自伝的小説と言われています。

 実際、「アフリカの日々」は彼女の人生そのものです。カレンは1885年にデンマーク生まれ。若い頃はパリで絵の勉強をしたり、文芸雑誌に小説を投稿したりしていたそうです。28歳でスウェーデン貴族と結婚し、翌年にはケニアに移住して夫婦でコーヒー農園を経営しますが、夫婦仲がうまくいかず離婚。ひとり身になってもコーヒー農園を続けますが、結局は経営が破綻してしまいます。その後、デンマークに戻って作家として成功するのですが、病に悩まされていたそうで、1962年に77歳で亡くなります。

 その病とは梅毒だったと言われています。「愛と哀しみの果て」はもちろん、「アフリカの日々」でもこのことは触れられていませんが、結婚から1年もたたないうちに夫からうつされたと言われています。死因も栄養失調だとされるものの、梅毒ではないかとの見方もあるようです。

 新婚早々、夫に性感染症をうつされたという点では、以前に当コラムで紹介した日本人女性で初めて医師国家試験にパスした荻野吟子医師と同じです。

 ちなみに、梅毒の特効薬「サルバルサン」が発見されたのは1910年です。ドイツのフランクフルトにあった国立実験治療研究所所長のパウル・エールリッヒ博士と日本人医師・秦佐八郎が協力して発見しました。2人の出会いはベルリンで開催された万国衛生学会でした。左八郎が危険なペスト菌を8年も研究していたことを聞いて、エールリッヒ博士が佐八郎をスカウトしたのです。2人は「微生物には親和性があり、人間の細胞には親和性がない」――つまり「微生物は殺し、人間には無害」な薬を作るための研究を始めます。そのときターゲットにしたのが、発見されて間もない梅毒のトレボネーマ・パリダムだったのです。

 ただし、サルバルサンは副作用が強い、という欠点がありました。そのためすぐにネオ・サルバルサンが作られ、梅毒治療が進むようになります。1928年にペニシリンが発見され、動物実験を経て抗菌作用が1940年に発表され、1942年にベンジルペニシリンが実用化されるまでは、サルバルサンが梅毒の標準的な治療薬だったのです。

 年代から考えれば、カレンがサルバルサンを使っていた可能性はあります。ただ当時の状況を考慮すると、性感染症を患ったとはいえ男爵夫人が簡単に治療に向かうとは思えません。その後、ペニシリンを使ったことも考えられますが、治療の遅れから効果が出なかったのかもしれません。

 結婚した男性は、よそで性感染症をもらうと妻にうつす可能性が高く、その場合は妻に大きな負担をかける。場合によっては妻のその後の人生をメチャクチャにする場合だってある。そのことを自覚しておくべきでしょう。

尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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