がんと向き合い生きていく

いまも思い出す父のありがたい親心 勝新太郎さんの父親も…

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 私が大学生だった頃の夏休みに、国鉄の職員だった父に頼んで、線路工事の手伝いをさせてもらったことがありました。

 昼の暑い日差しの下、線路工手の方が線路に敷いた枕木を相手につるはしを振り下ろす姿に、私はある種の憧れを持っていました。意味は分かりませんが、「タカトッタ、タカトッタ」との掛け声をあげていた記憶があります。

 私にはそんな力仕事ができるはずがないのに、生意気なお願いでした。

 グループのリーダーは、私を一目見て、「あなたには危なくて持たせられない」と言いたげで、つるはしを持たせてもくれませんでした。結局、線路に敷かれた小石の周りに生えた草を取るように言われました。

 一日中、夏の炎天下に水筒の水を含みながら、耐えて草取りをしました。休めるのは昼食の時と列車が通る時でした。その休み時間に、試しに置いてあるつるはしを持ってみると、とても重くてうまく振り下ろせませんでした。

「おいおい、そこの若いの、危ないからよしな!ケガするぞ」

 そう言われました。私は2週間くらい手伝うつもりでしたが、情けないことに草取りですら、暑さにやられて5日間でダウンしてしまいました。

 後で知ったのですが、父は現場の方に「息子はあんなことを言っているが、手加減してやって欲しい」と伝えてくれていたようでした。私にはまったく無謀な、無理な作業で、今でも恥じ入るばかりで忘れられません。

 しかし、「親心」とはそんなことかもしれないと思いました。

 父は、定年退職後、田舎の実家で母と2人で暮らしていました。毎年、秋には庭の渋柿を採り、段ボール箱に100個ほどしっかりと詰め込んで焼酎を振りかけ、「30日後まで開けないように」との指示と一緒に東京で暮らす私の元に送ってくれました。日にちを間違えて早く取り出すと渋かったり、遅くなると柿がグチャグチャになったりします。

■入院先に父が描いた掛け軸があった

 ある時、父は登った柿の木から落ちて腰を打ち、鎮痛剤を何日も飲んでいました。ところが、その薬が関係したかどうか、吐血して近くのN医院に入院することになってしまったのです。

 それを聞いた私は、がんであれば手術はどうしようか、東京へ連れてくるかなど、思い悩んでN医院に駆けつけました。N医師から父の胃内視鏡の説明をしていただいたところ、たしかに胃潰瘍で、がんではなさそうでホッとしました。

 その時、N医師から別室に案内されました。そこには父が趣味で描いた毛筆の達磨絵が、掛け軸になって五幅対ほど飾ってあったのです。驚いた私を見ながら、N医師は満足げにほほ笑んでいます。

 その中の一幅には、「八風吹不動 天辺月」の文字がありました。人生、さまざまな風が吹くが、どんな風にも動じない天空の月のような不動心が必要だという意味のようです。私の自宅にも、この掛け軸があります。日常の自分を省みると情けないかぎりです。

 話は変わりますが、私は学生時代、勝新太郎さんの映画「座頭市」が好きでした。映写が終わって、暗かった映画館から外へ出ると、目も開けられないほどまぶしく、私はしばらく座頭市の“がに股”で歩いていました。

 それからずいぶん後のことですが、たまたま勝新太郎さんの父、三味線奏者の杵屋勝東治さんのお話を聞く機会がありました。私から見ると、息子の若山富三郎さんや勝新太郎さんよりもずっと美男子で、背筋はピンと伸びて姿勢よく、“お殿さま”のような感じのとても魅力的な方でした。

「息子が言うのです。チャンバラ映画で、刀で相手役を切っても切っても倒れてくれない。それを聞いて、私は相手の役者にたばこを配りました。それから、切られたら倒れてくれるようになりました」

 あんな豪快で強そうな勝新太郎さんでも、そんなことがあるのだ。やはり父とはありがたいものだ、と思いました。そして、自分の父のことを思い出すのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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