がんと向き合い生きていく

緩和病棟を辞めて地方の実家に帰った医師から手紙が届いた

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 緩和ケア病棟のA医師宛てに友人の医師からこんな手紙が届きました。

  ◇  ◇  ◇

 A先生、お元気ですか? 突然ご挨拶もせずいなくなってすみません。長い間、仕事をご一緒させていただきありがとうございました。実家がある田舎に帰っております。これまで頑張ってきたことで、自分への褒美だと勝手に思っております。田舎暮らしは中学生の時以来ですから、あれから40年もたっています。

 私は病院で、たくさんのがん患者さんを看取らせていただきました。一生懸命、ずっと、患者さんの心に寄り添おうと頑張りました。人生の終末の一時期は、少しでも良かったと思っていただけるように努力しました。しかし、みなさん、人生の途中でがんになって、亡くなったのですから、満足してあの世に逝ったはずはないと思っています。そして、一人一人思い出すと、出来なかったことがたくさんありました。

 いま、田んぼを相手に暮らしていますが、何かにつけ、亡くなった患者さんのことを思い出します。山道でお地蔵さんに会うと、しゃがんで手を合わせます。

 特に思い出すのは、若い患者さんのことです。酸素吸入をしながら「死なないよね。私、死なないよね」……息苦しいのに、そう言いながら他の病院から運ばれてきた患者さん、何回も入院と退院を繰り返し、最後の入院ではじっと私を見つめていた患者さん、たくさんの患者さんが私の頭に浮かんできます。

「あの時、死なないよって、どうして言ってあげなかったのだろう」

「私をじっと見つめていたその目から、どうして先に私から外したのだろう」

 医療としては、当然、やり尽くしていたのですが、やっぱり悔いが残るのです。残された家族から「よくやっていただきました。感謝いたしております」と、そう言われて、それで満足している自分がいたのではないかと思うのです。

■その人の「死」を考えることから逃げていた

 人間、不治の病で亡くなるのだから仕方がないではないか。そう考えても、私はその人の死を深く考えることから逃げていたように思います。次の重症者の対応で考えている暇はなかった--実際にそうだったのですが、それを理由にして、その人の死を考えることから逃げていたと思います。

 最近の報道では、コロナウイルス感染者が増え、WEB診療、発熱外来、防護服、訪問診療など、ヘルパーさんたちも大変そうです。いまや職員が足りなくて大変なのに、私は現場から逃げてしまいました。この大変な時期に逃げてしまって、残されたスタッフの方にはとても申し訳なく思っております。

 でも、あの時、自分の心が追い込まれていて、人から離れて生きていくしかなかったのだと思っております。なんとバカなと言われそうですが、「人間って何なのだろう? 命とは何なのだろう? それを考えるのが人間の生きる究極の目的ではないのか?」──ずっとそんな自問自答をして、今でもぐちゃぐちゃ考える毎日です。

 それでも、神様も、仏様も、居るかどうか分かりませんが、体が健康であることには感謝しなければならないと思っております。勝手に、ひとり、現場から逃げてしまいましたが、先生には、どうしてもお礼の手紙を書かなければならないと思っていました。

 ありがとうございました。

 支離滅裂な文となりましたが、元気で生きています。ごめんなさい。私はもう、医療者ではありません。

 天日干しのお米がうまく収穫できましたら、お送りします。どうかその時は召し上がってください。

  ◇  ◇  ◇ 

 手紙をもらったA医師は、「彼の心はぎりぎりだったのだろう。それに気づけなかった」と、自分を情けなく思いました。一緒に働いた時の、彼の笑顔が浮かんできました。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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